各種族の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/28 19:18 UTC 版)
「第四紀 (トールキン)」の記事における「各種族の動向」の解説
人間 サウロンが滅びるとアラゴルンがエレスサール王として戴冠し、アルノールとゴンドールの再統一された王国の上級王となった。エレスサールとその息子エルダリオンの治世では、冥王と戦った自由の民の領土をのぞき、かつての領土を全て回復した。アンヌーミナスやフォルンオストといった北方王国の都市がふたたび栄え、ミナス・ティリスの人口も増えた。東夷やハラドリムたちとも和平を結び、モルドールの奴隷たちは解放され、ヌアネン湖周辺の土地を与えられた。 しかしただ平和を享受したわけではなく、東方のリューンの湖や、南方などへと幾度も鎮圧に赴いたとされる。 エレスサール王は120年に亡くなり、エルダリオンが後を継いだ。予言によれば、エルダリオンの王国は偉大なものとなり、100世代続き、子孫たちは多くの国を支配するとされる。 ローハンもエオメル王とその息子エルフヴィネ王の統治下で繁栄を享受し、人と馬の数を増やした。エレスサール王が戦場にあるときは、常にエオメル王の姿もあったとされる。 谷間の国では戦死したブランド王の後を継いだバルド二世の統治下で、再統一王国の友好国として保護下におかれた。 ガーン=ブリ=ガーンとウォーゼたちは、エレスサール王からドルーアダンの森を正式に与えられ、王は森への人間の立ち入りを禁じた。 エルフ 第一紀の終わり以来、中つ国の生活に疲れた多くのエルフたちが、西方の不死の国ヴァリノールへと船出していった。そして第三紀の終わりにエルロンド、ガラドリエル、ガンダルフが三つの指輪とともに旅立つことを決めると、多くのものが同行し、また後へとつづいた。 ロスローリエンは指輪戦争の際ドル・グルドゥアの勢力の襲撃を受け、これを退けた。サウロンが滅びるとケレボルンは軍勢を率いて闇の森のドル・グルドゥアを陥落させ、ガラドリエルは城壁を破壊し、森を清めた。 闇の森の北方ではスランドゥイルの王国も勝利をおさめた。ケレボルンとスランドゥイルは闇の森で会談し、闇の森の名を「緑葉の森」と改めた。スランドゥイルは闇の森山脈より北を己が領土にくわえ、ケレボルンは森の狭隘部より南を領土にくわえ、東ロリアンと呼んだ。 しかしガラドリエルが去ってから数年すると、ケレボルンはロスローリエンを去って、裂け谷にエルラダンとエルロヒアとともに住んだ。ロスローリエンに残ったエルフはわずかだった。ケレボルンは後に裂け谷も去り、西方へと去ったとされる。 ゴンドールのイシリエンにもスランドゥイルの息子レゴラスの率いる一団が住み、かつての美しさを取り戻す手伝いをした。 灰色港のキーアダンは、エルフを西方へと送る最後の船が出るその時まで、そこにいるとされる。 中つ国にとどまったエルフたちは、やがて人間の目にまったく見えなくなるほどに、その肉体が薄れていく。かれらは家もなくさまよい、立ち去ることもできず、木々や泉、隠された場所などを訪れるようになるという。このような過程が第四紀中に起こるのか、あるいはそれ以後に起こるのかは分からない。 ドワーフ はなれ山と青の山脈のドワーフたちは繁栄をつづけた。また白の山脈の燦光洞はギムリに与えられ、彼の一族はここで栄え、ミナス・ティリスの城門の修復という、優れた仕事もした。 のちにドゥリン七世はモリアを取り戻し、カザド・ドゥムの王国を築いた。この王国はドワーフの滅びる日まで続いたとされる。 ホビット サルマンの手により荒廃したホビット庄は、水の辺村の戦いの勝利と、それに続く復興を成し遂げた。ガラドリエルからサムに与えられた粉末によって土地は豊かになり、美しく丈夫な子供たちが次々と生まれた。 ホビット庄はエレスサール王の統治下で再統一王国保護下の自由地となり、王は人間がホビット庄に入ることを禁じた。 また庄町、セイン、バック郷の館主は北方王国の顧問官とされ、後に西境はホビット庄に加えられた。 しかし後にホビット庄は人間の国に吸収され、ホビットたちは人間との接触を避けるようになった。彼らはホビット庄に住み続けたが、目にすることはすくなくなった。この衰退が第四紀に起こったのか、それ以後の時代に起こったのかは分からない。
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