古墳時代・飛鳥時代・奈良時代
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「奈良県」の記事における「古墳時代・飛鳥時代・奈良時代」の解説
神武天皇陵(橿原市) 飛鳥板蓋宮跡(明日香村) 石舞台古墳(明日香村) 朱雀門(復元・平城宮跡) 東大寺盧舎那仏像 今井町西環濠(橿原市) 紀元3世紀から4世紀頃の古墳時代前期に、畿内の豪族が力を強めて周辺地域に覇を唱えた。その後長い年月と代替わりを経て、他地域との交流・攻防や大陸との交流の末、現在の日本地域の大半を支配する大勢力となった。これがヤマト王権と呼ばれている。 ヤマト王権は現在の皇室の祖であるとされ、宮内庁比定の天皇陵などが集まっている。また邪馬台国と同一視する説、北九州にあった邪馬台国の子孫が移住して新たに建国した国であるという説、神武天皇の東遷説などがある。大化の改新前代に置かれていた宮廷直轄領である六御県(むつのみあがた)は、倭六県(やまとのむつのあがた)ともいい、天皇に献上するための蔬菜を栽培する菜園の霊を祀り、添(そふ)・山辺(やまのべ)・磯城(しき)・十市(といち)・高市(たけち)・葛城(かつらぎ)の6つの県(あがた)は特別視された。県内には、御県神社が式内大社として存在している。 3世紀の半ば過ぎから九州地方から渡ってきた豪族などの邪馬台国連合・ヤマト政権の盟主墳と考えられる古墳が累々と奈良盆地に築造されている。それらを列挙すると、東南部の外山古墳群、纏向古墳群、柳本古墳群、大和古墳群であり、墳丘長200メートルを超す巨大古墳が6基も存在する。これらの古墳群をまとめて大倭古墳群と呼称することもある。曾布地域の佐紀丘陵には佐紀盾列古墳群、馬見丘陵周辺には馬見古墳群が所在する。 古代からの神道信仰の伝統、および6世紀の仏教伝来以来の国策により、この地域には神社仏閣が多数存在する。蘇我馬子が創立した飛鳥寺や、聖徳太子が創立した法隆寺などが知られる。 ヤマト王権成立以来8世紀末まで、この地域に大和朝廷の累代の天皇の宮があり、都が置かれた。大和時代から飛鳥時代にかけては、桜井市、橿原市、高市郡に宮が置かれていることが多かった(飛鳥京跡)。特に藤原京は、持統天皇4年(690年)に着工され、持統天皇8年(694年)に完成した条坊制による中国風都城として知られる。その後、和銅3年(710年)に平城京遷都が行われた(奈良時代の始まり)。 平城京では遣唐使を通して唐など諸外国との文化交流が行われた。諸外国から輸入した宝物を一同に保管している正倉院は、事実上のシルクロードの終着点である。また、聖武天皇の鎮護国家政策により、興福寺など仏教勢力が力を強め、天平勝宝4年(752年)には東大寺で大仏開眼会が行われた。 平城京から長岡京への遷都の一因ともなった影響力を持った寺社勢力は、遷都後もそれらはこの地域に残り、その後地域の耕作者を支配下において大きな勢力となった。
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