古墳時代の開始 全国的に統一された様式、各地の土器が他の地方で大量出土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 00:55 UTC 版)
「弥生土器」の記事における「古墳時代の開始 全国的に統一された様式、各地の土器が他の地方で大量出土」の解説
弥生時代に続く時代が古墳時代で、大規模古墳が全国一斉に出来た時、弥生時代は終わったとされる。このため、師升と言う、倭の王(少なくとも九州北部を支配していた可能性が高い)が楽浪郡に使いを送った時代も弥生時代となる。古墳は、一説には卑弥呼の墓ともされる、奈良の箸墓古墳を契機として全国に一斉に古墳が現れる。しかし、今では、箸墓古墳の前に、撥型の前方部を持つかなり大きな古墳が複数、確認されている。 土器の形態での弥生土器の遷移は次である。 弥生時代とその後に続く古墳時代との境界は曖昧であったが、1934年に大阪府豊中市の庄内小学校遺跡から出土した庄内様式(田中琢により命名)と、1938年に奈良県天理市の布留遺跡から出土した布留様式とが見出された。これらは古墳時代の土師器と分類され、古墳時代との境界がこの時、明瞭になった。全国的に統一された様式、各地の土器が他の地方で大量出土 この庄内式などの土師器は、それまでと違い、全国で地方差の少ない土器である事がひとつの特徴となっている。また、各地での交流が起こり、1遺跡で、全国の地方土器が大量に見出されている事も目立つ。しかし、研究者の解釈により同じ様式名称を用いても年代には若干の相違がある。さらにその後の研究成果で定義も修正されることがある。
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