飛鳥板蓋宮とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 天皇 > 皇居 > 飛鳥板蓋宮の意味・解説 

あすか‐の‐いたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】


飛鳥板蓋宮

読み方:アスカノイタブキノミヤ(asukanoitabukinomiya)

古代宮城皇極天皇遷都


板蓋宮

(飛鳥板蓋宮 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/17 03:35 UTC 版)

板蓋宮(いたぶきのみや)は、7世紀半ばに皇極天皇が営んだ皇居。一般には飛鳥板蓋宮と呼称される。奈良県明日香村岡にある飛鳥京跡にあったと伝えられている。

経緯

642年皇極天皇元年)1月、皇極天皇は夫である舒明天皇崩御により即位し、同年9月19日10月17日)、大臣である蘇我蝦夷へ新宮殿を12月までに建設するよう命じた。これにより完成したのが板蓋宮である。643年(皇極天皇2年)4月、遷る。

板蓋宮は、645年7月10日(皇極天皇4年6月12日)に発生したクーデター乙巳の変)の舞台となった。この日、蘇我入鹿が刺殺され、これにより皇極天皇は同月12日14日)に退位し、軽皇子が即位した(孝徳天皇)。孝徳天皇は、難波長柄豊碕(なにわのながらのとよさき)に宮を置いた(難波長柄豊碕宮)。

654年白雉5年)10月、孝徳天皇が難波宮で崩御すると翌年の初めに皇極上皇は板蓋宮において再度即位(重祚)し、斉明天皇となった。この年の末に板蓋宮は火災に遭い、焼失した。斉明天皇は川原宮へ遷った。

名称

なお、名称「板蓋宮」は、文字どおり屋根に板(豪華な厚い板)を葺いていたことに由来するといわれている。このことにより、当時の屋根のほとんどは檜皮葺・草葺き・茅葺き藁葺きであり、板葺きの屋根の珍しかったことが判る。実際にも檜皮葺や茅葺きの建築物は現代に至るも遺っているものが多いが、板葺きの建築物が遺っている例は少ない。

当時、大陸から伝来した最新様式を反映している寺院瓦葺きであったが、それ以外の建築物への普及は進まず、平安時代以降の貴族の居宅である寝殿造も檜皮葺である。本格的な瓦葺きの普及は江戸時代以降である。

現在の状況

現在、奈良県明日香村に中心の一部と思われるものが史跡として残っている。また、近くには蘇我入鹿の首塚[1]もある。

脚注

  1. ^ 蘇我入鹿首塚 奈良県観光公式サイト

関連項目

座標: 北緯34度28分24秒 東経135度49分15秒 / 北緯34.473333度 東経135.820833度 / 34.473333; 135.820833




飛鳥板蓋宮と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「飛鳥板蓋宮」の関連用語

飛鳥板蓋宮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



飛鳥板蓋宮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの板蓋宮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS