国・国司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 06:59 UTC 版)
詳細は「令制国」、「国司」、「国衙」、および「国府」を参照 国司は、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)・史生(しせい)が置かれた。国司は、中央から天皇のミコトモチ(御言持)として交替で赴任し、郡司を指揮して国内の支配に当たった。 後に、地元採用の書記官として国書生(くにしょせい)何十人、国学という地方大学が置かれ、国博士・医師が教鞭をとり、学生何十人、医生何人が就学した。 国にも大・上・中・下の四等級があり、中国には介がなく、下国にはさらに掾も置かれないなど、職員の異同があるが、等級区分の基準はつまびらかではない。 国は、天武10年(681年)以前に、律令制の国が成立していたと考えられる。伝飛鳥板蓋宮址から多数の木簡が出土し、それらの木簡の中に「辛巳年」という「天武十年」に相当する年紀が書かれていた。
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