飛鳥宮跡の発掘調査とは? わかりやすく解説

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飛鳥宮跡の発掘調査

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 11:28 UTC 版)

飛鳥京跡」の記事における「飛鳥宮跡の発掘調査」の解説

飛鳥京中心遺構である飛鳥宮跡は、6世紀末から7世紀後半までの宮殿遺構だとされ、『日本書紀』などに記述される飛鳥におかれた天皇大王)の宮の跡地であると考えられている。もともとこの区域には宮らしき遺構があると伝承されており、飛鳥板蓋宮跡だとされてきた。 飛鳥板蓋宮皇極斉明天皇2代天皇飛鳥浄御原宮天武持統天皇2代天皇それぞれ使用したこうした状況は、それまでの宮が、天皇1代限り行宮という役割から、何代もの天皇が宮として継続して使用する役割移りつつあったことが分かる発掘調査1959年昭和34年)から始まった発掘調査進んでいる区域では、時期異な遺構重なって存在することがわかっており、大まかにI期II期III期3期分類される。各期の時代順序『日本書紀』などの文献史料記述照らし合わせてそれぞれI期飛鳥岡本宮630 - 636年II期飛鳥板蓋宮643 - 645655年III期後飛鳥岡本宮(656 - 660年)、飛鳥浄御原宮672 - 694年) の遺構であると考えられており、III期後飛鳥岡本宮飛鳥浄御原宮については出土した遺物年代考察からかなり有力視されている。発掘調査構造がもっともよく判明しているのは、飛鳥浄御原宮である。 地元では当地皇極天皇飛鳥板蓋宮跡地伝承してきたため、発掘調査開始当初検出され遺構については「伝飛鳥板蓋宮跡」の名称で国の史跡指定された。しかし、上述のようにこの遺跡には異な時期宮殿遺構重複して存在していることが判明し2016年10月3日付け史跡の指定範囲追加の上指定名称を「伝飛鳥板蓋宮跡」から「飛鳥宮跡」に変更した

※この「飛鳥宮跡の発掘調査」の解説は、「飛鳥京跡」の解説の一部です。
「飛鳥宮跡の発掘調査」を含む「飛鳥京跡」の記事については、「飛鳥京跡」の概要を参照ください。

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