飛鳥の宮とは? わかりやすく解説

飛鳥の宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:59 UTC 版)

皇居」の記事における「飛鳥の宮」の解説

592年推古天皇即位した豊浦宮から694年持統天皇藤原京遷都するまでの約100年間は、奈良の南の地飛鳥周辺宮殿集中したので「飛鳥京」と呼ぶことがあるこのような宮には、小墾田宮603年 - 630年)、飛鳥岡本宮630年 - 636年)、飛鳥板蓋宮643年 - 655年)、後飛鳥岡本宮656年 - 672年)、飛鳥浄御原宮672年 - 694年)などがある。その頃大規模な居館いくつか発見されている。それらは地面に穴を掘って根本固定する掘立柱建物である。これらの建物の内、7世紀以降では、中心建物は南を正面としているのが特徴である。 後には、中国王朝影響で京(みやこ)が造営されるようになり、天皇は京の中の内裏(だいり)に定着し、これを皇居とした。国政中枢ある朝堂院を始めとする中央官衙内裏併設され合わせて宮城呼ばれる。 京には、難波京大阪市)、藤原京奈良県橿原市明日香村)、平城京奈良市)、平安京京都市)などがある。

※この「飛鳥の宮」の解説は、「皇居」の解説の一部です。
「飛鳥の宮」を含む「皇居」の記事については、「皇居」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「飛鳥の宮」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「飛鳥の宮」の関連用語

飛鳥の宮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



飛鳥の宮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの皇居 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS