飛鳥から平安時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 06:48 UTC 版)
「金杉 (船橋市)」の記事における「飛鳥から平安時代」の解説
金杉集落に関する初出文献は、『船橋大神宮旧蔵文書(平安時代末期)』の写しで、伊勢神宮へ寄進された夏見御厨の郷の一つとして『金曽木郷』という名称で登場する。ただし、この文書は、船橋大神宮の所領拡大の根拠にしようとした戦国期の偽文書という説があり、疑問視されている部分がいくつかある。この文書によると。それ以降の文献については、江戸時代初期まで確実のものは見当たらない。住民の言い伝えでは、平安時代に荘園開発のため、越後から移住した家(経緯は不明)、戦国乱世の中で甲州武田家の滅亡から落ち延び同地に土着したという家、明治維新時に領地だった同地に帰農したという家などいくつかの伝承が存在する。村の言い伝えでは、草分け六軒と呼ばれる旧家(現在存在しない家も複数ある)が金杉集落の原点といわれている。草分け六軒の分布を見ると少なくとも鎌倉時代末期 には、郷村と呼ばれるゆるやかな村落結合が形成されはじめていたと思われる。
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