飛鳥〜平安〜室町時代とは? わかりやすく解説

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飛鳥〜平安〜室町時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:55 UTC 版)

湯沢町」の記事における「飛鳥〜平安〜室町時代」の解説

大化の改新以前北陸道高志国一部だったと見られる701年大宝元年)の大宝律令制定により国郡里制敷かれ現在の南魚沼市魚沼市津南町などと併せて魚沼郡(伊乎乃、いおの)と称する和名抄国郡部)。当初越中国としたが702年大宝2年)に越後国編入続日本紀第2巻)。 延暦年間越後守となった坂上田村麻呂三国峠越後弥彦神社信濃諏訪明神上野赤城明神三社祭ったのが三阪神社(御坂三社大明神三国権現などとも呼称)の起源であると伝えられている。 群馬県側の永井宿の伝承では空海(弘法大師)も巡錫の折に三国峠訪れたとされる927年延長5年)にまとめられた『延喜式神名帳』の越後国の式内社一覧のうち魚沼神社伊米神社同名の神社が町内に存在魚沼神社天平神護年間創祀と伝わる。 伊米神社稲作の神として苗場山山頂にも祀られている。現在にも役行者信仰が残ることから苗場山開山修験者よるもの考えられる山頂にかつて存在した山小屋遊仙閣」(2008年取り壊し)は六日町出身修験者東岳によって作られた。 1075年承保2年) - 越後新発田高橋半六(高半旅館祖)が関東に向かう途中湯ノ沢川温泉発見(自然湧出毎分約500L)。湯沢地名の由来となる。 1176年安元2年) - 戸内山地すべりにより魚野川堰き止められ現在の大字神立付近まで冠水したと伝わる 1200年頃 - 湯沢村草創と共に鎮守として諏訪社創建この頃 - 貝掛温泉が開湯 1333年元弘3年) - 建武の新政叙位除目により新田義貞越後守となり、新田氏配下一族移り住むうになる正平年間 - 武蔵野合戦敗れた南朝方の脇屋義治戸沢地内潜伏する宗良親王一族国王丸」が後にこの地で没したとの口伝がある。 1362年正平17年 / 貞治元年) - 上杉憲顕関東管領になり、上杉氏一部移り住むうになる明徳年間 - 薬師堂創建 応永年間 - 熊野神社創建 1486年文明18年道興准后三国峠越える(『廻国雑記』) 尭恵法印三国峠越える(『北国紀行』・三国峠文献での初出1488年長享2年) - 長享の乱から逃れて万里集九三国峠越えて石白(現在の大字神立)を通り上田庄へ向かう(『梅花無尽蔵』) 大永年間 - 瑞祥庵が創建

※この「飛鳥〜平安〜室町時代」の解説は、「湯沢町」の解説の一部です。
「飛鳥〜平安〜室町時代」を含む「湯沢町」の記事については、「湯沢町」の概要を参照ください。

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