飛鳥〜平安〜室町時代
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大化の改新以前は北陸道高志国の一部だったと見られる。 701年(大宝元年)の大宝律令制定により国郡里制が敷かれ、現在の南魚沼市、魚沼市、津南町などと併せて魚沼郡(伊乎乃、いおの)と称する(和名抄国郡部)。当初は越中国としたが702年(大宝2年)に越後国に編入(続日本紀第2巻)。 延暦年間に越後守となった坂上田村麻呂が三国峠に越後の弥彦神社・信濃の諏訪明神・上野の赤城明神の三社を祭ったのが三阪神社(御坂三社大明神・三国権現などとも呼称)の起源であると伝えられている。 群馬県側の永井宿の伝承では空海(弘法大師)も巡錫の折に三国峠を訪れたとされる。 927年(延長5年)にまとめられた『延喜式神名帳』の越後国の式内社一覧のうち魚沼神社・伊米神社は同名の神社が町内に存在。 魚沼神社は天平神護年間の創祀と伝わる。 伊米神社は稲作の神として苗場山の山頂にも祀られている。現在にも役行者の信仰が残ることから苗場山の開山は修験者によるものと考えられる。山頂にかつて存在した山小屋「遊仙閣」(2008年取り壊し)は六日町出身の修験者・雲尾東岳によって作られた。 1075年(承保2年) - 越後新発田の高橋半六(高半旅館祖)が関東に向かう途中、湯ノ沢川で温泉を発見(自然湧出毎分約500L)。湯沢の地名の由来となる。 1176年(安元2年) - 戸内山の地すべりにより魚野川が堰き止められ、現在の大字神立付近まで冠水したと伝わる 1200年頃 - 湯沢村の草創と共に村の鎮守として諏訪社が創建。 この頃 - 貝掛温泉が開湯 1333年(元弘3年) - 建武の新政の叙位除目により新田義貞が越後守となり、新田氏の配下の一族が移り住むようになる。 正平年間 - 武蔵野合戦に敗れた南朝方の脇屋義治が戸沢地内に潜伏する。宗良親王の一族「国王丸」が後にこの地で没したとの口伝がある。 1362年(正平17年 / 貞治元年) - 上杉憲顕が関東管領になり、上杉氏の一部が移り住むようになる。 明徳年間 - 薬師堂が創建 応永年間 - 熊野神社が創建 1486年(文明18年)道興准后が三国峠を越える(『廻国雑記』) 尭恵法印が三国峠を越える(『北国紀行』・三国峠の文献での初出) 1488年(長享2年) - 長享の乱から逃れて万里集九が三国峠を越えて石白(現在の大字神立)を通り上田庄へ向かう(『梅花無尽蔵』) 大永年間 - 瑞祥庵が創建
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