古墳時代以降の高尾山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:41 UTC 版)
「高尾山古墳」の記事における「古墳時代以降の高尾山古墳」の解説
高尾山古墳では律令時代の住居跡が3つ確認されている。この住居跡はいずれも高尾山古墳築造時に大規模な削土が行われたため、当時の地表面よりかなり深い地層で確認されている。また住居跡は確認されていないが、墳丘の前方部と後方部の境目のくびれ付近からは、律令時代末期のものと考えられる土器がまとまって出土している。そして周溝内に住居跡の可能性が高い落ち込みも確認されており、高尾山古墳の範囲内に少なくとも5軒の律令時代の住居があったと考えられている。律令時代、高尾山古墳の北側には旧根方街道が通っていたと考えられ、根方街道に沿って律令時代の集落があったと推測されている。 高尾山古墳の周溝内や周辺の耕作土からは、江戸時代後半から大正時代末以降の陶磁器、砥石といった遺物が出土している。そして高尾山古墳の墳丘に掘られた4つの防空壕も確認された。なお防空壕は墳丘が削られてしまっている墳丘西側の市道側からも複数掘られたという。
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