南極点への行軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
「アムンセンの南極点遠征」の記事における「南極点への行軍」の解説
氷河の頂点、標高10,600フィート (3,200 m) は南緯85度36分であり、アムンセンは旅の最終段階に備える支度をした。ここまで登って来た45頭の犬(7頭はバリアの段階で死んだ)のうち、18頭のみが前に進むこととし、残りは食料のために殺された。橇を御していた者のそれぞれが自分のチームの犬を殺し、皮を剥ぎ、その肉を犬と人間で分けた。アムンセンは「我々はその場所を肉屋と呼んだ」と回想している。「隊の中に抑鬱と悲しみがあった。我々はそれほど我々の犬達を好きになっていた」と記した。その後悔は豊富な食料を楽しむことで補われた。ウィスティングは特に肉の処理と提供で技能があることが証明された。 隊は3台の橇に60日まで行軍できる物資を積み、残った食料と犬の死骸を補給所として残した。悪天候のために出発できたのは11月25日になってからであり、霧が続く中で見知らぬ大地を慎重に進み始めた。度々クレバスで割れる氷の表面を移動するのであり、視界が悪いこともあって速度が落ちた。アムンセンはこの地域を「悪魔の氷河」と呼んだ。12月4日、隊は雪と氷の層の下にクレバスが隠されている地域に出てきた。隊員が上を通過するときに空洞のように感じたので、アムンセンは「不快な空洞」と呼んだ。アムンセンはこの地域を「悪魔の舞踏室」と名付けた。その日遅く、より硬い地域に出てきた。南緯87度だった。 12月8日、隊はシャクルトンの樹立していた最南端記録南緯88度23分を通過した。南極点に近づくに従い、別の遠征隊が自隊より前に行っていないか、景色を遮るものを探していた。12月12日に宿営しているときに、一瞬地平線の上に黒い物体が現れたが、これは自隊の犬が遠くで落ちている姿が鏡で拡大されたことが分かった。翌日、隊は南緯89度45分で宿営した。南極点まで15海里 (27 km) だった。さらに翌日の1911年12月14日、午後3時頃に、アムンセンは橇の前を移動していた仲間と南極点の近傍に到達したことを確認した。隊員はノルウェーの国旗を立て、その台地を「ノルウェー王ホーコン7世の台地」と名付けた。アムンセンは後にその成果を皮肉と共に振り返った「その願望とこれほど全く反対の目標を達成した者はいない。北極点の周辺は悪魔が取ったのであり、それは子供のときから私を魅了していた。そして今は南極点に立っている。これほど狂気じみたものがありえるだろうか?」 その後の3日間で、隊員は南極点の正確な位置を確認するために動いた。北極点ではクックとピアリーが争い論争になる主張をしていた後で、アムンセンはスコットのために間違いようの無い印を残そうと思った。一日の異なる時間に何度か六分儀で測定し、ビアランド、ウィスティング、ハッセルが異なる方向で測定して、南極点を「絞り」こんだ。アムンセンは少なくともそれらの1つが正確な地点を通っているはずだと推察した。最終的に隊はその観測によって計算できる実際の極点にできる限り近い場所にテントを張り、それをポールハイムと呼んだ。アムンセンはこのテントの中にスコットのための装置を残し、ホーコン国王に宛てた手紙を置いて、その配達をスコットに依頼した。
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