南極点の征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 23:18 UTC 版)
詳細は「アムンセンの南極点遠征」および「テラノバ遠征」を参照 シャクルトンが南極点寸前で戻って来た後で、スコット大佐は1910年から1913年のテラノバ遠征を編成した。その遠征ではイギリス帝国のために南極点を征服することが明白な主目標となっていた。スコットがこの遠征の計画を立てているときに、それが競争になるなどとは考えてもいなかった。ノルウェーの探検家ロアール・アムンセンは北極の探検計画を立てていたが、1909年9月、アメリカの探検家フレデリック・クックとロバート・ピアリーによって北極点が征服されたと主張されたことで、アムンセンは北極の代わりに南極点を目指すことに心を変えた。 アムンセンはその遠征船フラム号が大西洋に出て、通常の通信範囲を超えるまで、意図を明かさなかった。スコットは既に遠征に出た後で電報によってその意図を知らされ、計画を続けることしか選択の余地がなかった。一方フラム号は1911年1月11日にロス棚氷に到着し、1月1日にはボルクグレヴィンクが11年前に上陸していたクジラ湾という入り江を見つけていた。そこがアムンセン隊のベースキャンプ「フラムハイム」になった。 アムンセンは準備に9か月を掛けた後、南極点を目指した旅を1911年10月20日に始めた。ベアドモア氷河を通る既に知られていたルートを避けて、その5人の隊は真南に進み、11月16日には南極横断山脈に到着した。隊はアクセル・ハイバーグ氷河を発見し、それが南極台地に登るルートとなり、その後に極点への最後の行程となった。シャクルトンの最南端記録を12月7日に通過し、南極点それ自体には12月14日に到達した。このノルウェー隊のスキーや犬ぞりを使って氷の上を旅する技術を含めた大きな技量が決定的な要因となった。スコット大佐の5人の隊はその33日後に南極点に達し、しかもその帰途に全員が死んだ。クックの探検以来、アムンセンの南極点征服まで最南端記録を樹立した全ての遠征隊はイギリスの隊だった。しかし、最後の勝利は紛れも無くノルウェーのものになった。
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