南極海の氷への航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:20 UTC 版)
「シャクルトン=ローウェット遠征」の記事における「南極海の氷への航海」の解説
ワイルドは指導者になって、遠征にすぐ出発すべきかをまず判断した。カーが炉の問題が何とかなるものであると報告し、サウスジョージアで入手できる物資や装置で補った後、ワイルドがシャクルトンの当初計画に従って全体を進行させると判断した。まず東のブーベ島とその先に向かった後、南に転じてエンダービーランドにできるだけ近く氷の海に入り、そこで海岸線の調査を始めた。この遠征隊は、1842年のジェイムズ・クラーク・ロスが報告していたがそれ以降見つかっていなかったウェッデル海入口の「島の形跡」も探した。しかし最終的に進度は天候と氷の状態および船の性能に依存していた。 クエストはサウスジョージアを1月18日に出発し、南東のサウスサンドイッチ諸島に向かった。大きなうねりがあり、積荷の多かった船はしばしばガンネルまで水に浸かり、中央甲板まで水で満たした。進行していく間にワイルドは、クエストが丸太のように揺れ、水漏れし、常にポンプ作業が必要であり、石炭の消費量が大きく、鈍いと記していた。これらの要素全てにより、1月末には、計画の変更を迫られた。少し南寄りのコースを摂るためにブーベ島が捨てられ、2月4日には叢氷の端に達した。 船が緩い浮氷の海に入ったときに、ワイルドは「今や小さなクエストが実際にその勇気を試すことができる」と記していた。クエストは南極の氷が多い海を通過しようとした船では最小のものであり、他の船の運命も考えたと言っていた。「我々は逃げるべきか、あるいはクエストはデイビー・ジョーンズ・ロッカー(海の底)の船に加わることになるか?」とも言っていた。それに続く日々で、気温が下がり、氷が厚くなる中を南に進んだ。2月12日、最も南の緯度となる南緯69度17分に達し、最も東の東経17度9分まで来た。そこはエンダービーランドの直ぐ手前だった。海氷の状態と海が凍り付くことを恐れ、ワイルドは西と北に「急ぎ、エネルギーを使った撤退」を命じた。ワイルドは依然として厚い氷に取り組むことを期待しており、可能ならばその向こうに隠れた陸地を発見したかった。2月18日、船を再度南に向けさせたが、前よりも成功したわけではなかった。2月24日、その後も何度か試みては失敗した後、ワイルドはウェッデル海の入り口を横切って西に向かわせた。船はサウス・シェトランド諸島のエレファント島を訪れた後に、冬の開始と共にサウスジョージアに戻ることとした。 ウェッデル海を横切る行程の大部分は何事もなく進んだ。マクリンに拠れば、ワイルドとワースリーは特に仲良くやるでもなく、乗組員の中に他の不満もあったが、ワイルドの証言では、「最も劇的な扱い」という脅しで扱った。3月12日、南緯64度11分、西経46度4分に達し、そこは1842年にロスが「島影」を記録した所だったが、陸地の兆候は無く、水深が2,300ファソム(13,800 フィート、 4,200 m) 以上あって、近くに陸地がある可能性が無かった。3月15日から21日、クエストは氷に閉じ込められ、石炭が足りなくなったので、大きな問題になった。船が氷を割って自由になると、ワイルドは直接エレファント島に向かうコースを選び、そこにいるゾウアザラシの脂肪から石炭に代わる代替物を得られると期待していた。3月25日、エレファント島が視認された。ワイルドは可能ならば、昔エンデュアランス遠征のキャンプ地となったケープ・ワイルドを再訪したいと考えたが、天候のために妨げられた。乗組員はそこを双眼鏡で眺め昔の目印を見つけた後に、西側の海岸に上陸してゾウアザラシを捕まえた。石炭に混ぜるに十分な脂肪を得られたので、風を受けて、4月6日にはサウスジョージアに着くことができた。
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