創業 - 1980年代とは? わかりやすく解説

創業 - 1980年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:21 UTC 版)

日産自動車」の記事における「創業 - 1980年代」の解説

創業期より先進技術吸収積極的で、日産自動車日本フォード日本ゼネラル・モータースなみの大型乗用車製造するため、1936年アメリカのグラハム・ペイジから設計図設備など購入し、また戦時中技術的空白埋めるため、1952年イギリスオースチン技術提携している。 1958年には、当時世界で最も過酷なオーストラリア大陸一周ラリー自社開発ダットサン・210型で出場してクラス優勝飾り1960年には業界初デミング賞受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」、「技術日産」として親しまれ故障少なく高速走行を得意としたことで医者往診愛用されたことから「医者ダットサン」としても親しまれた。 1966年8月1日には、経営難陥ったプリンス自動車工業通産省主導により合併スカイライングロリアなどの車種と、中島飛行機立川飛行機流れを汲む人材戦列加えた。またプリンス自動車工業宇宙開発事業承継宇宙航空事業部発足させた。 1973年米国環境庁EPA)の燃費テストサニーは第1位となり、この間燃費向上のための高張力鋼板およびボディ防錆性の向上のための亜鉛ニッケルメッキ合金用いた防錆鋼板同社では「デュラスチール」と命名)、エンジン燃焼制御技術の開発からCAD/CAM産業用ロボット開発まで、「技術日産」として先端技術分野先駆的役割果たしてきた。 しかし、その反面戦時中自動車配給独占していた「日本自動車配給株式会社」が戦後解散となった際、日本国内各地地元の有力ディーラー大半トヨタ自動車販売(現・トヨタ自動車)に組織化されたために販売力ハンデがついてしまい、技術面では「技術日産」と評されるほどに優位保っていた反面販売面ではマーケティング販売戦略業界トップとなったトヨタには及ばず1970年代までトヨタ肉薄していた日産販売シェアは、特に1980年代以降トヨタとの差は広がった

※この「創業 - 1980年代」の解説は、「日産自動車」の解説の一部です。
「創業 - 1980年代」を含む「日産自動車」の記事については、「日産自動車」の概要を参照ください。

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