創業 - 「谷水式ハードトレーニング」の展開
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「カントリー牧場」の記事における「創業 - 「谷水式ハードトレーニング」の展開」の解説
1963年、ゴルフ場経営を主業とするタニミズ企画代表・谷水信夫が北海道静内町(現・新ひだか町)に30ヘクタールの土地を購買し、カントリー牧場を創業。牧場名は谷水が創業したゴルフ場・皇子山カントリークラブに由来する。谷水は競走馬に対して「鍛え抜いて強くする」という信念を抱いており、創立当初から生産馬に厳しいトレーニングを課す育成方針を採用した。その内容は牧場で毎日3000-4000mの調教を行うという猛烈なもので、時に育成が原因で馬が死亡することもあった。こうした育成方法は巷間に「谷水式ハードトレーニング」と呼ばれた。二代目場長の西山清一によれば、信夫は「豚を持ってきても走るようにしろ」と冗談を言っていたという。 1968年、創業2年目の生産馬からマーチスが皐月賞、タニノハローモアが東京優駿(日本ダービー)を制した。1970年にはタニノムーティエが皐月賞と日本ダービーを連覇し、クラシック二冠を達成。同馬の同期生産馬は11頭、ほか谷水が他場から購買した馬が同期に10頭存在したが、無事にデビューを迎えたのはタニノムーティエを含めて5頭のみであった。 カントリー牧場は創業10年で中央競馬において一時代を築いていたが、タニノムーティエ二冠達成から2年後の1972年、谷水信夫が交通事故で急死。以後の牧場経営は、長男の谷水雄三に引き継がれた。本業のゴルフ場経営に多忙を極めていた雄三は、「8割方馬をやめなければならない」という心積もりでいたが、この後、タニノムーティエの半弟(異父弟)であるタニノチカラが天皇賞(秋)と有馬記念を制したことで競馬の魅力を再確認し、牧場は雄三の元で継続された。
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