創作の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:15 UTC 版)
「長くつ下のピッピ (架空の人物)」の記事における「創作の過程」の解説
伝記作家のイェンス・アンデルセンは、A・S・ニイルやバートランド・ラッセルの理論のような1930年代の教育理論だけでなく、スーパーマンやターザンのような「永遠に強いキャラクター」が登場する現代の映画やコミックからも、ピッピはさまざまな影響と着想を得たことを示している。神話や童話、伝説に加えて、文学的には『不思議の国のアリス』、E.T.A.ホフマンの『不思議な子』、『赤毛のアン』、『あしながおじさん』などからキャラクターのインスピレーションを受けている。アンデルセンは、リンドグレーンがキャラクターを作り上げていた第二次世界大戦中の「人間嫌いで感情が乏しい時代」が最も大きな影響を与えたと主張している。アンデルセンによれば、原書版のピッピは「戦争の残虐さと悪に対する答えは、善意と寛大さとユーモアであるという、陽気な平和主義者であった」という。 ピッピは、リンドグレーンの娘カリンのために語られた枕元での物語に由来する。1941年の冬、病気で寝たきりになっていたカリンが、「ピッピ・ナガクツシタ(カリンがその場でつけた名前)の話をしてほしい」と言ったことから、リンドグレーンは「無限のエネルギー」を持った「決して敬虔ではない」少女の話を即興で作った。子供の頃のカリンは、自分とは全く違う性格だと感じていたピッピよりも、アニカやトミーに親近感を持っていたという。ピッピはリンドグレーン家の主役となり、カリンの友人やいとこたちも彼女の冒険を楽しんだ。1944年4月、足首を痛めて療養中のリンドグレーンは、ピッピの物語を速記で書き上げた。その清書した原稿は、5月21日にカリンのために手作りの本にして贈った。別の原稿は出版社のブンーイール社に送られたが、9月に「先進的すぎる」という理由で却下された。 デビュー作の児童文学『ブリット-マリはただいま幸せ(スウェーデン語版)』(1944年)で批評的な成功を収めたリンドグレーンは、1945年5月、『長くつ下のピッピ』の原稿をラベン&シェーグレン社の編集者である児童図書館員・評論家エルサ・オレニウスに送った。オレニウスは、一杯になった室内用便器(英語版)を消火器として使うなどの「視覚的」な要素を修正し、6歳から10歳までの子どもを対象としたラベン&シェーグレン社のコンクールに応募するよう助言した。評論家のUlla Lundqvistは、原稿の3分の1が修正されたと推定している。文章や読みやすさを向上させるための変更もあれば、Lundqvistによれば「新しい謙虚さと優しさ、そしてわずかな憂鬱さを身につけた」ピッピのキャラクターや、「複雑ではない」台詞にも変更が加えられている。『長くつ下のピッピ』は第1位となり、1945年11月にイングリッド・ヴァン・ニイマンの挿絵で出版された。その後、2冊の本『ピッピ 船にのる』(1946年)と『ピッピ 南の島へ』(1948年)が出版された。絵本も数多く出版された。
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