創作の題材としての吸血鬼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 02:32 UTC 版)
作品リストについては「吸血鬼を題材にした作品の一覧」を参照 18世紀以降、多くの東ヨーロッパの吸血鬼伝承及び事件が、西欧に伝えられ始める。これらの伝承や事件は既に低価格化していた出版物によって、一般の間でも流行した。吸血鬼の頻繁な活動が報告された17世紀から18世紀の間はいまだ医学が十分に発達しておらず、疫病や迷信のはびこる時代でもあった。そのため不可解な死、カタレプシーや仮死状態からの甦生などが伝承化された。これらの伝承や事件の中には事実として報じられたものもあるが、現代の怪談や幽霊話と同様、信用するに足らないものであった。 文学的モチーフとしての吸血鬼は、バイロンの主治医ジョン・ポリドリの作でバイロン作と伝えられた『吸血鬼(The Vampyre)を嚆矢とする。この作品に登場する吸血鬼ルスヴン卿(英語版)は、ハンサムな貴族然としており、美女の血を好み、何度死んでも蘇る不死者として描写される。そうしたルスヴン卿の貴族然とした吸血鬼像を受けて19世紀中頃に登場したのが、安価で低俗な小説の通称ペニー・ドレッドフルの代表作である『吸血鬼ヴァーニー』である。主人公で吸血鬼のフランシス・ヴァーニー卿は、牙を持ち、犠牲者の首筋に2つの刺し傷を残したり、窓から侵入して乙女を襲う、催眠術を使えるなど、現代の標準的な設定の多くの基となっている。しかし、十字架やニンニクを嫌う、昼間は行動できないなどの設定はない。その後、1872年に登場したのが女吸血鬼カーミラを主人公とする『カーミラ』であり、しばしばカーミラは女吸血鬼の個人名として有名である。血液での湯浴みなどは、バートリ・エルジェーベト(エリーザベト・バートリ)やジル・ド・レイといった実在の人物の逸話をモチーフにしている。 以上の吸血鬼像を踏襲しつつ、1897年に登場したのがルーマニア(ワラキア)の領主ヴラド・ツェペシュをモチーフとしたブラム・ストーカーの怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』であり、上述された今日おける一般的な吸血鬼のイメージが確立された。また、吸血鬼ドラキュラはユニバーサル社によるホラー映画などの映像化によってもよく知られ、ドラキュラは、男性吸血鬼の代名詞的存在になった。 ホラーからコメディまでさまざまな要素を加えながら、現在も吸血鬼文学の系譜は旺盛に拡大を続けている。
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