出版人としての軌跡とは? わかりやすく解説

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出版人としての軌跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:36 UTC 版)

岡茂雄」の記事における「出版人としての軌跡」の解説

陸軍中央幼年学校から陸軍士官学校28期)を経て1916年大正5年12月26日歩兵第60連隊附の歩兵少尉となった1920年大正9年4月1日には歩兵中尉進級するも、本人申し出により1922年大正11年3月9日より休職となり、1924年大正13年3月9日予備役へ編入されている。この間東京帝国大学人類学教室選科生として入学鳥居龍蔵のもとで学ぶ。1924年民族学考古学への貢献志して岡書院」を創立。更に、1925年大正14年)には山岳書の出版専門とする「書房」を創立鳥居龍蔵の『人類学上より見みたる北東アジア』(1924年刊)を手始めに、南方熊楠の『南方随筆』(1926年刊)、『続南方随筆』(1926年刊)。柳田國男の『雪國の春』(1928年刊)や八幡一郎の『南佐久郡考古学調査』(1928年刊)など。書房名義出版では、山階芳麿の『日本鳥類と其生態』(1934年刊)、京都帝国大学遠征報告『白頭山』1934年刊)などがあり、民族学考古学から山岳・自然関係の名著を、短期間ながら多数出版した雑誌類では、1925年9月に、民族民俗学綜合隔月誌『民族』を創刊。現在も日本野鳥の会機関誌となっている雑誌野鳥』も、中西悟堂らの懇請入れる形で岡が書房から創刊したのが始まりとなる。 義侠心からの採算度外視した出版は度々の事だった。言語学者小林英夫によるフェルディナン・ド・ソシュール一般言語学講義』(岩波書店刊)の元版は、ソッスュール述『言語学原論』の題名で、1928年昭和3年)に岡書院出版された。これは、岡が交誼結んでいた小林の師、金田一京助相談を受け、岡書院専門外れると困惑しながらも引き受けたが、やはり岡書院客層との接点が無い分野だったため、売れなかった。金田一京助の『ユーカラ研究アイヌ叙事詩 I・II』も、柳田國男依頼され岡の協力励ましにより、金田一関東大震災焼失した欧文学位論文を、邦文新たに書き直したのである出版の際には、岡の斡旋により、金田一東洋文庫渋沢敬三より経済的助成金授与された。 岡書院書房とも1935年昭和10年)頃に閉店、岡は出版業界から身を引く閉店後も、岡自身発案新村出依頼して進められていた『辞苑』(広辞苑前身)の編集作業、及び『辞苑刊行後改訂作業には、新村支えるべく編集事務一切担当し続けたまた、岡書院刊行していた人類学民族民俗学)・考古学専門誌ドルメン』は、岡書院廃業とともに4巻8号停刊していたが、各方面から再刊要望強く友人書店主の協力得て1938年昭和13年復刊。岡が陸軍召集応召するまで9巻発行した第二次世界大戦後岩波書店の元会長堤常の勧め出版業短期再開今西錦司著『山と探検』(1950年刊)や、長谷川如是閑著『凡愚列伝』(1950年刊)、渋沢敬三著『祭洞襍考』(さいぎょどうざっこう1954年刊)などを発行した

※この「出版人としての軌跡」の解説は、「岡茂雄」の解説の一部です。
「出版人としての軌跡」を含む「岡茂雄」の記事については、「岡茂雄」の概要を参照ください。

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