冷戦後期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 04:23 UTC 版)
「海軍航空隊 (フランス海軍)」の記事における「冷戦後期」の解説
シャルル・ド・ゴール大統領の指導の下、フランスは第五共和政に移行し、アルジェリア戦争は国内の混乱を経て終息させた。フランス海軍は大規模な再編成に臨んだ。 1961年に新型空母「クレマンソー」が就役し、1963年には2番艦の「フォッシュ」が就役、新型艦載機エタンダールシリーズが開発された。1962年にエタンダールIV (航空機)が運用開始、戦闘機チャンスボート F-8クルセイダーも同時期に導入される。これについてはアメリカ合衆国側は有利な条件を提示したが、当時の国防大臣ピエール・メスメルは統合参謀総長シャルル・アイユレ陸軍大将から、空軍と競合するため予算配分が困難であるとの懸念を伝えていた。軍首脳部は空母の有効性について懐疑的であり、財務省も外貨流出を伴う購入計画よりも新型フリゲートの建造を望んだ。これに対しマルセル・ダッソーはフランス航空業界を危機に晒すとして代替案を出した。ジョルジュ・カバニエ海軍参謀総長は艦載機操縦士派と水上艦派の板ばさみ状態であった。ド・ゴール大統領も介入するに至り、1963年にフロリダ州にあるセシルフィールド海軍航空基地に要員を研修に出し、1964年にフリゲート新造は中止となりF-8Eとして特別版42機を調達することになる。最初の13機は「アローマンシュ」で輸送され1964年11月4日にサン・ナゼールに到着した。残りの29機は翌1965年1月から2月にかけてノーフォークから「フォッシュ」に積まれてやってきた。 1965年、空母航空隊の規模は縮小される。これはアメリカ製新型機の購入の影響であり、機体の改修やエレベーターの改良がその要因であった。その後新型機は第12Fと第14F海軍航空隊に装備された。 ヘリコプター部隊も新型機への更新が進み、シュド アルーエトIIIが導入された。これはアルジェリア戦争に投入されることを期待しての開発であったが、実戦配備は遅れて戦後に導入される結果となる。 アルジェリアからの撤退に伴い、1964年から1966年にかけて海軍はフランス領ポリネシアにパペーテの本部を含む100以上の建築物を建設した。核実験は南太平洋のムルロア環礁などで実施されることになり、警備や輸送などに海軍航空隊は関わってゆく。 1987年から13ヶ月間にわたりイラン・イラク戦争時のタンカー戦争に対応するためペルシャ湾へ船団護衛に出動し、1990年には湾岸危機に出動した。
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