第14F海軍航空隊とは? わかりやすく解説

第14F海軍航空隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 20:29 UTC 版)

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第14F海軍航空隊
Flottille 14F
創設 1953年1月15日
廃止 1964年10月1日
再編成 1965年3月1日
廃止 1991年7月1日
所属政体 フランス
所属組織 フランス海軍
兵種/任務/特性 偵察・爆撃
所在地 ブルターニュ地域圏フィニステール県ランディヴィジオ海軍航空基地
編成地 フランス領インドシナバク・マイ第190空軍基地英語版
通称号/略称 14F
愛称 Corsair
主な戦歴 インドシナ戦争
アルジェリア戦争
スエズ動乱
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第14F海軍航空隊(だい14Fかいぐんこうくうたい、: Flottille 14F)は、かつてフランス海軍海軍航空隊にあった攻撃機部隊。1953年1月15日フランス領インドシナバク・マイ第190空軍基地英語版で新編され、1991年7月1日ランディヴィジオ海軍航空基地で解隊した。

歴史

第14F海軍航空隊は、チャンスボートAU-1飛行隊として、1953年1月15日第一次インドシナ戦争中のフランス領インドシナに所在するバク・マイ第190空軍基地で新編され、休戦協定が成立する1954年7月まで活動した[1]。翌1955年にはフランス本土のド・キュエル=ピエールフー海軍航空基地に所属航空機未配備の状態で移駐し、チャンスボートF4U-7が配備された[1]1956年にはアルジェリア戦争中のフランス領アルジェリアに秩序維持作戦のため派遣され、数か月後には空母アローマンシュ(R95 Arromanches)に搭載されて地中海に展開してスエズ動乱に対応し、同年12月にフランスへ帰還後、再びアルジェリア戦争に投入された[2]

1961年7月にはチュニジアカロウバ海軍航空基地フランス語版に展開し、チュニジア国内での任務に従事、1963年 8月にド・キュエル=ピエールフー海軍航空基地へ帰還した。1964年8月にF4U-7の運用終了となり、第14F海軍航空隊も同年10月1日に解隊されたが、チャンスボートF-8E(FN)飛行隊として1965年3月1日ラン=ビウエ海軍航空基地で再編成された[1][2]1979年にはダッソーシュペルエタンダールに機種転換し、運用形態が防空任務から戦術攻撃任務に変更された。第14F海軍航空隊におけるシュペルエタンダールの運用は約10年に及んだが、予算削減の影響により1991年7月1日に解隊した[2]

配備基地の変遷

歴代運用機

第14F海軍航空隊で運用したF4U-7

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c Net Marine Flottille 14F 2019年12月18日閲覧
  2. ^ a b c Association Aux Marines Flottille 14F 2019年12月18日閲覧

関連項目

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