第149師団 (日本軍)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 第149師団 (日本軍)の意味・解説 

第149師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/20 13:22 UTC 版)

第149師団
創設 1945年(昭和20年)7月10日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 満州
編成地 満州
通称号/略称 不撓
補充担任 関東軍管区
最終上級単位 第4軍
最終位置 満州 ハルビン
戦歴 太平洋戦争
(ソ連対日参戦)
テンプレートを表示

第149師団(だいひゃくよんじゅうきゅうしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

1945年(昭和20年)に入り、関東軍は南方へ兵力の過半数を引き抜かれていたが満州居留邦人15万名、在郷軍人25万名を「根こそぎ動員」、さらに中国戦線から4個歩兵師団を戻してなんとか74万人の兵員を調達した。さらに以前関東軍特種演習により本土から輸送させた戦車200輌、航空機200機、火砲1000門も健在であった。

しかし兵員の半数以上は訓練不足、日ソ中立条約違反を想定していなかった関東軍首脳部の混乱、物質不足(砲弾は約1200発ほどで、航空部隊のほとんどが戦闘未経験者。また小銃が行き渡らない兵士だけでも10万名以上)のため事実上の戦力は30万名程度だったといわれている。

同年7月、第149師団は「根こそぎ動員」の際に第5国境守備隊、第6国境守備隊、第7国境守備隊を基幹に編成された。第149師団は第4軍に編入され、チチハルに所在し陣地構築を実施していた。同年8月9日のソ連対日参戦を受け、第4軍司令部と共にハルビンに移動し、ソ連軍の侵攻に備えたが停戦となった。

第149師団隸下の歩兵第388連隊は、突如何の理由であろうか所属部隊が第125師団に変更されて吉林省通化へ移駐し、その代わり第125師団の歩兵第274連隊が師団に編入された。

第149師団のほか、第134第135第136第137第138第139第148師団が同時に編成された。

師団概要

歴代師団長

参謀長

  • 印南清 大佐:1945年(昭和20年)7月16日 - 終戦[2]

最終司令部構成

  • 参謀長:印南清大佐

最終所属部隊

  • 歩兵第274連隊(広島):宮岸初次大佐
  • 歩兵第386連隊(満州):近藤毅夫大佐
  • 歩兵第387連隊(満州):真方信雄少佐
  • 砲兵第149連隊
  • 第149師団挺進大隊:露木甚助大尉
  • 第149師団通信隊
  • 第149師団兵器勤務隊
  • 第149師団病馬廠

脚注

  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』230頁。
  2. ^ 『帝国陸軍編制総覧』1235頁。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第149師団 (日本軍)」の関連用語

第149師団 (日本軍)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第149師団 (日本軍)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第149師団 (日本軍) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS