第119師団_(日本軍)とは? わかりやすく解説

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第119師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 07:44 UTC 版)

第119師団
創設 1944年(昭和19年)10月11日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 満洲国興安総省海拉爾市
興安嶺東部
編成地 満洲国興安総省海拉爾市
通称号/略称
補充担任 東京師管・東京師管区
最終上級単位 第4軍
最終位置 満洲国黒河省興安嶺
(現・ 中国黒竜江省大興安嶺地区
戦歴 大東亜戦争第二次世界大戦
対ソ戦満洲作戦
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第119師団(だいひゃくじゅうきゅうしだん)は、大日本帝國陸軍師団の一つ。

沿革

太平洋戦争中期以降、多くの師団が満州から南方に転用されたため、1944年(昭和19年)10月11日に、満洲国興安総省海拉爾において第8国境守備隊フィリピン戦線に転用された第23師団の残留部隊を基幹として第119師団が編成された。

編成後、ハイラル方面の国境警備と治安維持に当る。師団は当初第6軍に属していたが、1945年(昭和20年)1月25日に第6軍が華中へ転用となり、第4軍に編入され、一貫して海拉爾要塞を根拠地として駐屯した。

1945年(昭和20年)8月9日ソ連最高指導者ヨシフ・スターリン日ソ中立条約を破棄、赤軍に大日本帝国および満洲帝國への侵攻開始を命じた(ソ連対日参戦)。本師団は知らせを受けると同時に海拉爾要塞を独立混成第80旅団に任せて後退を開始。追撃するソ連軍と交戦を続けている中で終戦を迎えた。

GHQ一般命令第一号発布を前に、本軍はソ連赤軍に降伏することが決まり、8月16日から17日にかけて武装解除を受け、多くの兵士がシベリアに抑留された。

師団概要

歴代師団長

  • 塩沢清宣 中将:1944年(昭和19年)10月14日 - 終戦

参謀長

  • 岡部狷介 大佐:1944年(昭和19年)10月14日 - 終戦[1]

最終所属部隊

  • 歩兵第253連隊(東京):三浦俊雄大佐
  • 歩兵第254連隊(東京):長沢太郎大佐
  • 歩兵第255連隊(市川):清水義虎大佐
  • 捜索第119連隊:田川泉大佐
  • 野砲兵第119連隊:石口茂大佐
  • 工兵第119連隊:石塚義治大佐
  • 輜重兵第119連隊:坂牛哲少佐
  • 第119師団挺進大隊
  • 第119師団通信隊
  • 第119師団制毒隊

脚注

  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』460頁。

参考文献

  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

関連項目





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