ソビエト連邦の指導者の一覧とは? わかりやすく解説

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ソビエト連邦の指導者の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/03 08:03 UTC 版)

ソビエト連邦
最高指導者
庁舎 ソビエト連邦モスクワカザコフ館
創設1922年12月30日 (ソ連邦の建国)
初代ウラジーミル・レーニン
(人民委員会議議長)
最後ミハイル・ゴルバチョフ
(大統領)
廃止1991年12月26日 (ソビエト連邦の崩壊)

ソビエト連邦の指導者の一覧(ソビエトれんぽうのしどうしゃのいちらん)では、かつて存在したソビエト連邦の歴代最高指導者を一覧表にしている。

概要

69年間のソビエト連邦の歴史の中では、首相や党書記長などの地位にあって、国政を主導し、最終決定権を行使する事実上の最高指導者が存在した。よって「最高指導者」という地位は正式な役職ではない。そして、彼らは必ずしも国家元首であるという訳ではなかった。ウラジーミル・レーニンが議長を務めていたソビエト連邦人民委員会議は国家の行政機関(行政府、首相格)にあたり、国家元首でもなければロシア社会民主労働党ボリシェヴィキ)の機関でもなかった。レーニンは党の役職としては中央委員、政治局員であっただけである。

しかし、レーニン生存中、党の最高指導者(党首)が彼であるというのが党員の共通認識であったことは間違いない。また、党中央委員会書記長というポストに最初に就任したのはヨシフ・スターリンであるが、その時点ではそのポストが党の最高指導者の地位であるという認識は、党内ではまだ確立していなかった。しかし、後にこのポストは名実ともに党の最高位となり、すなわちソ連最高指導者の代名詞となった。ここから後発の共産主義・社会主義国家の「ヘゲモニー政党の最高指導者が国家・行政の職責に優位する」という慣習が生まれた(党の指導性)。

書記長職は1952年にスターリン自身によって廃止されるが、彼の死後、ニキータ・フルシチョフが実権を握った1953年には「党中央委員会第一書記」として事実上復活。1966年にはレオニード・ブレジネフによって「書記長」の名称へ戻された。その後、書記長職は1990年までソ連における最高ポストと見做された。1990年3月にミハイル・ゴルバチョフ大統領制を導入すると、ソ連大統領は書記長にとって代わり、事実上のソ連最高指導職となった。

大統領制導入以前は、国家元首格として中央執行委員会議長最高会議幹部会議長最高会議議長がおり、ブレジネフのようにこれらのポストと党中央委書記長を兼ねた者もいたが、やはりソ連の事実上の支配者として君臨したのは党書記長であった。

最高指導者の一覧

最高指導者 役職 在任期間 最高指導者の期間 備考
ウラジーミル・レーニン
Владимир Ленин
人民委員会議議長
(首相)
1917年11月7日[注 1]
- 1924年1月21日
1922年12月30日
- 1924年1月21日
1年 + 22日
ヨシフ・スターリン ソ連共産党中央委員会書記長 1922年4月3日[注 2]
- 1952年10月16日
1924年1月22日
- 1953年3月5日
29年 + 42日
人民委員会議議長
(首相)
1941年5月6日
- 1946年3月19日
閣僚会議議長
(首相)
1946年3月19日
- 1953年3月5日
ゲオルギー・マレンコフ ソ連共産党中央委員会筆頭書記 1953年3月6日 - 1953年3月14日 1953年3月6日

- 1953年3月14日

8日
閣僚会議議長
(首相)
1953年3月6日
- 1955年2月8日
ニキータ・フルシチョフ ソ連共産党中央委員会第一書記 1953年9月7日
- 1964年10月14日
1953年9月7日
- 1964年10月14日
11年 + 37日
閣僚会議議長(首相) 1958年3月27日
- 1964年10月14日
レオニード・ブレジネフ ソ連共産党中央委員会第一書記 1964年10月14日
- 1966年4月8日
1964年10月14日
- 1982年11月10日
18年 + 27日
ソ連共産党中央委員会書記長 1966年4月8日
- 1982年11月10日
最高会議幹部会議長
国家元首
1960年5月7日
- 1964年7月15日
1977年6月16日
- 1982年11月10日
ユーリ・アンドロポフ ソ連共産党中央委員会書記長 1982年11月12日
- 1984年2月9日
1982年11月12日 -
1984年2月9日
1年 + 89日
最高会議幹部会議長
国家元首
1983年6月16日
- 1984年2月9日
コンスタンティン・チェルネンコ ソ連共産党中央委員会書記長 1984年2月13日
- 1985年3月10日
1984年2月13日 -
1985年3月10日
1年 + 25日
最高会議幹部会議長
(国家元首)
1984年4月11日
- 1985年3月10日
ミハイル・ゴルバチョフ ソ連共産党中央委員会書記長 1985年3月11日
- 1991年8月24日
1985年3月11日
- 1991年12月25日
6年 + 289日
最高会議幹部会議長
(国家元首)
1988年10月1日
- 1989年5月25日
ソビエト連邦最高会議議長
(国家元首)
1989年5月25日
- 1990年3月15日
ソビエト連邦大統領
国家元首
1990年3月15日
- 1991年12月25日

最高指導者の年表

ミハイル・ゴルバチョフコンスタンティン・チェルネンコユーリ・アンドロポフレオニード・ブレジネフニキータ・フルシチョフゲオルギー・マレンコフヨシフ・スターリンウラジーミル・レーニン

トロイカ一覧

ソビエト連邦においては三人の実力者が組織を指導し運営する、集団指導の仕組み(トロイカ体制)が取られることがあった。ソ連初のトロイカはレーニンの死後に構築され、トロツキースターリンの対立により、スターリン、ジノヴィエフカーメネフによって集団指導体制が形成された。その後に同国で、権力が書記長一人に集中するのを防ぐために、3人に権限を分散させた集団指導体制が取られることがあった。スターリン死後及びフルシチョフ失脚後には第一書記、最高会議幹部会議長(国家元首)、閣僚会議議長(首相)へ権力が分散された。また、書記長自身の指導力不足からトロイカが形成されることもあった。チェルネンコ政権時がそれに該当する。チェルネンコ死後のゴルバチョフ書記長は、再度権力を書記長、最高会議幹部会議長、閣僚会議議長に分散するトロイカ体制を構築した。

構成員
(役職)
期間 備考
1922年5月[1]

1925年4月[2]
ヨシフ・スターリン
(党中央委書記長)
レフ・カーメネフ
(政治局員)
グリゴリー・ジノヴィエフ
(政治局員)
1953年3月15日

1955年2月8日
ゲオルギー・マレンコフ
(閣僚会議議長)
ニキータ・フルシチョフ
(党中央委書記→第一書記)
クリメント・ヴォロシーロフ
(最高会議幹部会議長)
1964年10月14日

1977年6月16日
レオニード・ブレジネフ
(党中央委第一書記→書記長)
アレクセイ・コスイギン
(閣僚会議議長)
ニコライ・ポドゴルヌイ
(党中央委第二書記
→最高会議幹部会議長)
1984年2月13日

1984年12月20日
コンスタンティン・チェルネンコ
(党中央委書記長・最高会議幹部会議長)
アンドレイ・グロムイコ
(閣僚会議第一副議長・外務大臣)
ドミトリー・ウスチノフ
(国防大臣)
1985年9月27日

1988年10月1日
ミハイル・ゴルバチョフ
(党中央委書記長)
アンドレイ・グロムイコ
(最高会議幹部会議長)
ニコライ・ルイシコフ
(閣僚会議議長)

脚注

  1. ^ ソビエト・ロシア人民委員会議議長。
  2. ^ ロシア共産党中央委員会書記長。
  1. ^ Reim 2002, pp. 18–19.
  2. ^ Rappaport 1999, pp. 141 & 326.

関連項目

外部リンク




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