冤罪は死刑廃止の理由ではないとの主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:04 UTC 版)
「死刑存廃問題」の記事における「冤罪は死刑廃止の理由ではないとの主張」の解説
冤罪は死刑廃止の理由にはならないと主張する人々は、下記の理由で冤罪は死刑廃止の理由にはならないと主張している。 死刑冤罪の執行は取り返しがつかないが終身刑や懲役の冤罪の執行は取り返しがつくという考えは誤りである。まず、冤罪の終身刑や懲役も被害者が冤罪が判明する前に死亡した時点で修復不能である。また、法治制度が人の執行する制度である限りはでは誤審が最後まで判明しない場合は終身刑や懲役でも必ずあるはずである。冤罪によって刑務所で生涯を絶望と無念に終えるのは長期間に渡る精神的拷問後の死であり死刑よりも惨いと論じることもできる。 懲役により失われた寿命や人生が金銭で回復されるという主張は誤りである。例えば、60歳まで無実の罪で投獄された後に1億円(あるいは1兆円)が渡されるという取引に事前に合意するような一般人がいるだろうか。本人が60歳なら、親は大抵の場合は他界、家族も離散、あるいは家族は人殺しの近親者のレッテルを数十年背負うわけであるから、これらの、失われた人生や寿命が取り返しがつかないのは自明の理である。また、懲役を伴わない痴漢や万引きなどの軽い犯罪においても前科があれば一般人は社会的信用を完全に喪失するわけであるから、刑罰の大多数の誤判は多くの場合は取り返しがつかない。冤罪が判明しない、あるいはその判明が遅すぎるということは避けられない、取り返しがつかない誤審があるから刑を執行できないというのなら死刑や懲役どころか法制度や政治そのものが成り立たない。死刑の誤審は取り返しがつかないので廃止すべきだが禁固刑の誤審は取り返しがつくので許容できるというのは論の体をなさない。 冤罪が発生することは死刑に固有の問題ではなく、捜査または裁判の過程で、被疑者や被告人の権利を保護する法律の規定が脆弱で、警察官・検察官・裁判官が被疑者や被告人の権利を軽視することが原因で発生する。死刑の廃止ではなく、法体制の強化に注意が向けられるべきである。 冤罪の発生をできるだけ少なくすることは、死刑に固有の問題ではなく、捜査または裁判の過程で、被疑者や被告人の権利を保護する法律の規定を拡大・強化し、警察官・検察官・裁判官が被疑者や被告人の権利を重視する必要がある。 冤罪で刑罰を執行されても、再審請求をすることも、再審請求が受理されることも、再審で無罪判決をうけることも、金銭という代替手段による被害賠償を受けることも、本人でも代理人でも、本人の存命中でも死後でも、刑罰の種類に関係なく可能であり、死刑という特定の刑罰を廃止する理由にはならない。 1949年に刑事訴訟法が施行されて以後、法務省は冤罪の可能性が高い死刑囚に対しては、執行対象外にして、再審による無罪判決で釈放するか、再審による無罪判決が得られなければ、死刑囚が死ぬまで収監し続け、仮釈放を許可されなかった無期受刑者と同じ処遇にしているので、冤罪による死刑執行の可能性は少なく、死刑という特定の刑罰を廃止する理由にはならない。
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