公開とフィルムの消息
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「裁かるるジャンヌ」の記事における「公開とフィルムの消息」の解説
『裁かるるジャンヌ』は、1928年4月、まず最初にデンマークで上映された。同年10月、フランスで公開されたが、カトリック教会の思惑で改変された形でしか上映できなかった。教会と異端審問官を告発するかのようなこの作品を受け入れることは彼らには到底出来るはずも無かった。フランスにおいてオリジナル版を観ることができたのは一部の映画評論家や映画関係者のみで、改変が行なわれる以前に観ることができた彼らはこの映画を高く評価している。オリジナル版を観ることができた映画理論家のレオン・ムーシナックは検閲後の一般公開版を次のように評している。「カール・ドライヤーの全く関与していない妥協に続くカットと修正はあまりにひどく、(中略)退屈で動揺した映画を観客はここに認め得るだけであった」。 そんな中、同年12月、編集済みのオリジナルネガを保管していたドイツのウーファ社の倉庫で火災があった。その火事によってオリジナルネガは消失した。外国にフィルムを売るために、没になった未使用ネガをかき集めドライヤー自身の手により再編集が行なわれた(第二版ネガ)。そこからポジプリントが起こされ、それがデンマーク、フランスを除く諸外国に送られ各地で上映された(日本では翌1929年に公開)。1929年にはパリで保管していた第二版ネガが再び火災により失われた。その後、ソシエテ・ジェネラール・ドゥ・フィルム社が負債を抱えて倒産(その一因は、多額の資金を投入しながらそれを回収できなかった『裁かるるジャンヌ』の興行的失敗にある)、それに伴い、残された未使用ネガが散逸。デンマークで上映されたポジプリントは2本あったといわれるが、これも散逸した。この時点で存在がわかっているのは、世界各地に送られた第二版ポジと、フランスで検閲の末に改変された第一版のフランス語版ポジとなった。その後、ドライヤーの関知しないところで散逸した未使用ネガを使い再編集が行なわれたり、デンマーク映画博物館の主導で世界各地のプリントを使い最良のバージョンを作ることが試みられたりした。さらに、さまざまな版のプリントがさまざまな形で改変、コピーを重ねられ、世界各地に流布していった。特にアメリカにおいて違法コピーが広く流通した。コピープリントからさらにコピーが繰り替えされ、それらは後にビデオテープやレーザーディスクにもなって世界各地へと広がっていった。 しかし、1981年にポジプリント一本がノルウェーのオスロにある精神病院で発見され、1984年になってデンマークで上映された無修正の第一版であることが判明した。デンマーク語字幕がつけられているそのオリジナルプリントはきれいに保存されていた。そのプリントは同年11月に企画されていたイタリアのヴェローナでのドライヤーの国際シンポジウムで上映された。 日本では、1929年に初公開された。試写の段階では『ジャンヌ・ダルク』や『ジャン・ダーク』という作品名で紹介されたが、この作品は「新感覚なる演出」が用いられており、「史劇的題名を変更」する必要があるとして、この作品を輸入したヤマニ洋行社により一般公開前に新邦題が付けられた。『裁かるるジャンヌ』『セント・ジョン』『ジャンヌ・ダルクのパシヨン』『ジャンヌ受難篇』『ジャンの最後』という5つの候補名の中から賞金付きで一般公募が為された。1994年には有楽町朝日ホールでノルウェーで発見されたオリジナル版が初めて上映され、その後も各地で上映されたが、それはいずれもシネマテーク・フランセーズにより中間字幕をフランス語に書き換えたバージョンである。それと同版が1999年に米クライテリオン社から世界で初めてソフト化されている。2005年、デンマーク語字幕版DVDが日本において紀伊国屋書店から発売された。2021年12月より「奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション」として「怒りの日」「奇跡」「ゲアトルーズ」とともに「裁かるゝジャンヌ」のタイトルで、デジタルリマスター版が上映された。
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