八景線、安浦2丁目線(追浜営業所と共管)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:36 UTC 版)
「京浜急行バス久里浜営業所」の記事における「八景線、安浦2丁目線(追浜営業所と共管)」の解説
八31:安浦二丁目 - 横須賀中央駅 - 横須賀駅 - 田浦郵便局 - 船越 - 追浜駅 - 内川橋 路線沿革 1945年(昭和20年)10月11日:東京急行電鉄(大東急。現・東急バス)杉田営業所の手により、横浜駅 - 杉田間(現在の横浜線区間)のバスが再開される。 1946年(昭和21年)5月5日:杉田 - 船越間(現在の磯子線と八景線を合わせた区間)のバスが再開される。 1948年(昭和23年)6月1日:京浜急行電鉄に引き渡され、堀内営業所所管となる。この時には横浜駅 - 六浦と杉田 - 横須賀駅の2路線となっていた。 6月5日:堀内 - 杉田間の直通運行を開始。 1949年(昭和24年)2月1日:横浜駅 - 六浦間で横浜市営バスとの相互乗り入れを開始。詳細は「横浜市営バス磯子営業所#4系統」および「横浜市営バス#戦争と市営バス」を参照 1950年(昭和25年)1月1日:横浜線区間と磯子線・八景線区間を統合、堀内 - 横浜駅間の運行を開始。 1959年(昭和34年)3月16日:杉田営業所へ移管。 1966年(昭和41年):堀内 - 金沢文庫と横浜駅 - 追浜日産自動車に分割、現在の八景線と磯子線の基礎ができる。 1970年(昭和45年)12月1日:堀内 - 金沢八景に短縮。 1971年(昭和46年)3月10日:横浜市内区間を横浜駅 - 杉田平和町(110系統)と磯子駅 - 追浜日産自動車(4系統)に分割。横浜線、磯子線が現在の形になる。詳細は「横浜京急バス追浜営業所#磯子線」および「横浜市営バス磯子営業所#110系統」を参照 1978年(昭和53年)6月21日:堀内 - 内川橋間の運行を開始。 1983年(昭和58年)10月1日:堀内 - 金沢区総合庁舎前の運行を開始。 1989年(平成元年)10月16日:堀内発着を聖徳寺坂下発/米ヶ浜着に変更短縮、追浜営業所へ移管。 1999年(平成11年)7月12日:内川橋 - 金沢区総合庁舎前を廃止 2000年(平成12年)10月1日:北部共済病院 → 米ヶ浜の運行を開始 2002年(平成14年)10月1日:19時以降日ノ出町経由に変更。同時に聖徳寺坂下・米ヶ浜 - 安浦二丁目間を延長し、安浦二丁目発着に変更 2003年(平成15年)10月1日:堀内営業所に復帰、横須賀京急バス(当時)委託運行を開始。 2021年(令和3年)3月5日:追35系統が系統整理により廃止。 2022年 (令和4年)3月13日:堀内営業所の閉鎖により追浜営業所に移管。同時に北部共済病院始発の八31系統を新設。なお、2021年に廃止になった追35系統と同じ経路である。 なお、乗務員不足のため約半分の便を久里浜営業所が担当している。 京急本線金沢八景駅と追浜駅の中間にある内川橋から国道16号を下り、JR横須賀駅、京急横須賀中央駅を越えて県立大学駅に近い安浦2丁目まで行く路線。全区間で京急本線と並走する。内川橋、瀬ヶ崎の両停留所は横浜市金沢区にあり、堀内営業所の一般路線では唯一の横浜市内乗り入れ系統となっていた。 この系統の源流は戦前の横須賀自動車の時代にまで遡り、戦後の最盛期には現在追浜営業所に移管されている磯子線(4系統)、杉田営業所の横浜線(110系統)と合わさって、横浜駅まで行く長距離路線だった。また、現在横浜線・磯子線となっている区間では横浜市営バスへの運行委託や2社局共同運行も行われたが、追浜駅以南の横須賀市内は大東急時代から民営単独で維持されている。
※この「八景線、安浦2丁目線(追浜営業所と共管)」の解説は、「京浜急行バス久里浜営業所」の解説の一部です。
「八景線、安浦2丁目線(追浜営業所と共管)」を含む「京浜急行バス久里浜営業所」の記事については、「京浜急行バス久里浜営業所」の概要を参照ください。
八景線、安浦2丁目線(久里浜営業所と共管)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 07:43 UTC 版)
「京浜急行バス追浜営業所」の記事における「八景線、安浦2丁目線(久里浜営業所と共管)」の解説
八31:安浦二丁目 - 横須賀中央駅 - 横須賀駅 - 田浦郵便局 - 船越 - 追浜駅 - 内川橋 八31:北部共済病院 → 田浦郵便局 → 横須賀駅 → 横須賀中央駅 → 安浦二丁目 追34:安浦二丁目 → 横須賀中央駅 → 横須賀駅 → 田浦郵便局 → 船越 → 追浜駅 路線沿革 1945年(昭和20年)10月11日:東京急行電鉄(大東急。現・東急バス)杉田営業所の手により、横浜駅 - 杉田間(現在の横浜線区間)のバスが再開される。 1946年(昭和21年)5月5日:杉田 - 船越間(現在の磯子線と八景線を合わせた区間)のバスが再開される。 1948年(昭和23年)6月1日:京浜急行電鉄に引き渡され、堀内営業所所管となる。この時には横浜駅 - 六浦と杉田 - 横須賀駅の2路線となっていた。 6月5日:堀内 - 杉田間の直通運行を開始。 1949年(昭和24年)2月1日:横浜駅 - 六浦間で横浜市営バスとの相互乗り入れを開始。詳細は「横浜市営バス磯子営業所#4系統」および「横浜市営バス#戦争と市営バス」を参照 1950年(昭和25年)1月1日:横浜線区間と磯子線・八景線区間を統合、堀内 - 横浜駅間の運行を開始。 1959年(昭和34年)3月16日:杉田営業所へ移管。 1966年(昭和41年):堀内 - 金沢文庫と横浜駅 - 追浜日産自動車に分割、現在の八景線と磯子線の基礎ができる。 1970年(昭和45年)12月1日:堀内 - 金沢八景に短縮。 1971年(昭和46年)3月10日:横浜市内区間を横浜駅 - 杉田平和町(110系統)と磯子駅 - 追浜日産自動車(4系統)に分割。横浜線、磯子線が現在の形になる。詳細は「横浜京急バス追浜営業所#磯子線」および「横浜市営バス磯子営業所#110系統」を参照 1978年(昭和53年)6月21日:堀内 - 内川橋間の運行を開始。 1983年(昭和58年)10月1日:堀内 - 金沢区総合庁舎前の運行を開始。 1989年(平成元年)10月16日:堀内発着を聖徳寺坂下発/米ヶ浜着に変更短縮、追浜営業所へ移管。 1999年(平成11年)7月12日:内川橋 - 金沢区総合庁舎前を廃止 2000年(平成12年)10月1日:北部共済病院 → 米ヶ浜の運行を開始 2002年(平成14年)10月1日:19時以降日ノ出町経由に変更。同時に聖徳寺坂下・米ヶ浜 - 安浦二丁目間を延長し、安浦二丁目発着に変更 2003年(平成15年)10月1日:堀内営業所に復帰、横須賀京急バス(当時)委託運行を開始。 2021年(令和3年)3月5日:追35系統が系統整理により廃止。 2022年 (令和4年)3月13日:堀内営業所の閉鎖により追浜営業所に移管。同時に北部共済病院始発の八31系統を新設。なお、2021年に廃止になった追35系統と同じ経路である。 なお、乗務員不足のため、約半分の便を久里浜営業所が担当している。 京急本線金沢八景駅と追浜駅の中間にある内川橋から国道16号を下り、JR横須賀駅、京急横須賀中央駅を越えて県立大学駅に近い安浦2丁目まで行く路線。全区間で京急本線と並走する。内川橋、瀬が崎の両停留所は横浜市金沢区にあり、堀内営業所の一般路線では唯一の横浜市内乗り入れ系統となっていた。 この系統の源流は戦前の横須賀自動車の時代にまで遡り、戦後の最盛期には現在追浜営業所に移管されている磯子線(4系統)、杉田営業所の横浜線(110系統)と合わさって、横浜駅まで行く長距離路線だった。また、現在横浜線・磯子線となっている区間では横浜市営バスへの運行委託や2社局共同運行も行われたが、追浜駅以南の横須賀市内は大東急時代から民営単独で維持されている。
※この「八景線、安浦2丁目線(久里浜営業所と共管)」の解説は、「京浜急行バス追浜営業所」の解説の一部です。
「八景線、安浦2丁目線(久里浜営業所と共管)」を含む「京浜急行バス追浜営業所」の記事については、「京浜急行バス追浜営業所」の概要を参照ください。
- 八景線、安浦2丁目線のページへのリンク