堀内営業所へ合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 07:43 UTC 版)
「京浜急行バス追浜営業所」の記事における「堀内営業所へ合併」の解説
湘南電気鉄道へ合併された直後には、横須賀自動車から引き継いだ田浦・平坂両営業所はそのままとされた。京浜電気鉄道が1941年(昭和16年)に湘南電気鉄道を合併した後もしばらくはそのままだったが、第二次世界大戦中の東京急行電鉄(大東急)への合併後に堀内営業所へ統合され消滅した。従って戦前の両営業所の系譜は堀内営業所に引き継がれており、このことは当営業所管下を走っている八景線が今でも堀内所管であることからもわかる。 詳細は「京浜急行バス#大東急時代」および「京浜急行バス堀内営業所#八景線、安浦2丁目線」を参照 1945年(昭和20年)、日本の敗戦とともに東急はバス事業の再建に乗り出した。 「東急バス#戦後の復旧」も参照 横浜市南部から横須賀市にかけての地域では、横浜市電杉田線の復旧が遅れたこともあり、現在の横浜線区間が終戦からわずか2か月弱で運行再開した。1946年(昭和21年)に入ると現在の磯子線・八景線区間も再開し、湘南富岡駅(現:京急富岡駅)が空襲被害により休止となっていた東急湘南線(現:京急本線)の補完的役割を果たした。 詳細は「京急富岡駅#歴史」および「京浜急行バス杉田営業所#戦後復興と堀内営業所への統合」を参照 1947年(昭和22年)、神奈川県内の他営業所の路線の復旧が進んだことで車両不足が深刻化し、横浜線・磯子線を合わせた横浜駅 - 六浦間の運行が横浜市交通局(横浜市営バス)に委託された。 詳細は「横浜市営バス#戦争と市営バス」を参照 1948年(昭和23年)6月1日、大東急から分離独立して京浜急行電鉄が営業を開始し、杉田営業所・堀内営業所は京浜急行電鉄に承継されたが、杉田営業所は一旦廃止され、堀内営業所が横浜市と横須賀市にまたがる広い範囲の路線を担当することになった。直後の同年6月5日に八景線全線が運行再開され、杉田 - 堀内間の運行が始まった。同年11月には田浦線の前身となる船越循環線も新設された。
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