八戸店とは? わかりやすく解説

八戸店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:33 UTC 版)

さくら野百貨店」の記事における「八戸店」の解説

1968年昭和43年6月28日青森県八戸市三日町丸光八戸店として開店し開店2時間前から八戸駅 前まで続くほどの集客力開業初日に約5万人の買い物客集め同日開業緑屋八戸店と合せて祭り並み人出となって八戸警察署警察官42人を出して交通整理警備に当たるほどの賑わいスタートした経営母体再編伴って丸光小美屋百貨店連合ダックシティダックビブレ経営引き継がれ店名も'ダックシティ丸光八戸店、八戸ビブレ変遷した。マイカルグループの経営破綻により、ダックビブレがマイカルグループを離脱し初代の)さくら野百貨店となった時点で、店名さくら野百貨店八戸店とした。その後経営再建計画一環で、2005年4月初代さくら野百貨店からさくら野東北3代目にあたる現在のさくら野百貨店)が分割 されると、さくら野東北経営引き継がれた。 1969年昭和44年11月13日以前から営業していた地場資本百貨店丸美屋閉店追い込まれ隣接して衣料品店経営していた三春屋買収して 百貨店としての営業乗り出すなど当店進出大きな影響与えた1970年昭和45年11月6日開店した長崎屋八戸店 や1971年昭和46年10月7日ニチイ八戸ショッピングプラザ などと競争しながら共に中心街代表する大型店として営業し1978年昭和53年)には地場資本百貨店だった三春屋と共に大規模な増床をし、1980年昭和55年4月19日開店したイトーヨーカドー八戸店 を含む大型店同士激し競争繰り広げた近年モータリゼーション進展影響1995年平成7年)に約33.2万人だった中心街通行量2005年平成17年)に約18.1万人減少して1997年平成9年)に合計730億円あった中心街売上高2002年平成14年)に合計約508億円と急激に落ち込んでラピアイオン下田ピアドゥなどの郊外型ショッピングセンター売上2002年平成14年)に合計440億円と匹敵するレベル達するなど急激に進んだ中心街空洞化影響を受け、1985年昭和60年)に開店したヴィアノヴァ同じくファッションビルチーノはちのへにおける債権青森銀行から外資系ファンド、さらに外資系ファンドから地元資本売却され2003年平成15年4月移転理由イトーヨーカドー八戸店撤退する など店舗周辺商業環境厳しくなっているものの、八戸市中心市街地における百貨店営業続けている。 現在も百貨店として展覧会など各種催事行われている。 1996年平成8年10月地権者25人が設立した三日町番町地区市街地再開発準備組合核店舗として当店想定されていたが、ダックビブレ経営破綻構想宙に浮いて地権者全員同意得られなくなり2004年平成16年4月組合解散して再開発構想自体挫折したその後2007年平成19年1月活性化策一環として当店近隣金入類家大学堂薬局合せ敷地面積7,750m2を一体的再開発する構想浮上して再び店舗再開発構想進み始めている。

※この「八戸店」の解説は、「さくら野百貨店」の解説の一部です。
「八戸店」を含む「さくら野百貨店」の記事については、「さくら野百貨店」の概要を参照ください。

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