八戸市指定文化財とは? わかりやすく解説

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八戸市指定文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 16:37 UTC 版)

櫛引八幡宮」の記事における「八戸市指定文化財」の解説

工芸品 青銅擬宝珠正門前に架かる神橋反橋)の親柱取り付けられていた擬宝珠宝暦12年1762年)に盛岡藩8代藩主南部利雄寄進したもの

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八戸市指定文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:52 UTC 版)

小田八幡宮」の記事における「八戸市指定文化財」の解説

仁王門建造物昭和48年1973年1月24日弘化2年1845年)から嘉永7年1854年)まで9年をかけて建造され三間一戸入母屋造の八脚門。小田仁王門とも呼ばれる。八脚門としては八戸市内に遺る唯一のもの。 毘沙門天像(彫刻昭和48年4月13日制作年代不明享保3年1718年)に八戸在住の僧、津要玄しんようげんりょう)が補修したとの墨書が台板に残る。 欄間2間(歴史資料昭和48年1月24日黒塗り枠組み中に112本、横5本(上下端に1本中央部に3本)の細かい組み合わせた格子作り根城南部家八戸家)の祈祷であった東善寺欄間一部を、同家遠野移った後に徳城寺の別当である河村家譲り受けたものと伝え、2間分残されている。 千風庵百々俳諧献額せんぷうあんひゃくひゃくひょうはいかいけんがく)1双(歴史資料昭和54年1月19日宝暦3年1753年)に、八戸藩始め盛岡松前秋田周辺諸藩から寄せられ800余句の俳諧から千風庵百々72句を選評して奉納した額。八戸地方に残されている俳諧献額では最古のもの。

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