献額
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 14:20 UTC 版)
江戸期に隆盛した流派は、神仏分離以前の神社仏閣に額を献上することを盛んに行ったことが特徴としてあげられる。 中興の祖と謳われた飯塚臥龍斎は、江戸愛宕神社下に門弟3000人を数えるほどの道場を構えていたが、自身の門弟・五十嵐金弥(のちに児島系13代目となる)らと共に、浅草寺へ献額している。ただこの額は昭和の戦災による東京大空襲よって焼失している。他にも、碓氷峠の熊野神社や赤城神社、産泰神社などに、飯塚臥龍斎とその門弟による献額、根岸登美太らによる献額がある。また佐位郡境町伊与久の雷電神社には、14代斎藤武八郎による額と新井数馬らによる額があり、勢多郡木曾神社には下田茂平による額が、世田谷区祖師谷の神明神社には斎藤百吉による献額が現存している。
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