猴行者の人気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)
限定的な登場とはいえ猴行者の人気は高く、特に泉州開元寺では西塔(正式には仁寿塔。1237年建造)の第4層に、三蔵と猴行者のレリーフが彫り込まれるほどであった。なお泉州は当時から国際港で滞留外国人も多く、東南アジアでよく見られる『ラーマーヤナ』(古代インドの長篇叙事詩)を題材とする影絵芝居なども上演されていたと思われ、泉州に多数存在したヒンドゥー教寺院には『ラーマーヤナ』で活躍する猿将ハヌマーンの浮彫も多く、寺院が無くなった現在でもハヌマーン像のみ他の寺院などで現存している。 また張世南が撰した『游宦紀聞』巻4には、福建省永福県の張聖者なる民間の宗教者が、唐三蔵が猴(サル)と白馬を伴って西天へ赴いたという詩を詠んでいる。泉州や永福を含む福建省では、もともと猿を神として祭る風習があり、この永福県では当時、山の神として「猴王」が祭られていたことが宋代の志怪書『夷堅志』甲志巻6の「宗演去猴妖」に見える。さらに南宋の劉克荘(1187年 - 1269年)の「釈老」という詩(『後村先生全集』巻43)にも「取経は猴行者を煩わす」という句があり、猴行者の名の広まりがうかがえる。 これら猴行者の人気は、福建だけの現象ではなく、敦煌の安西楡林窟に残る西夏(1038年 - 1227年、現在の甘粛省・寧夏回族自治区)時代の壁画にも、馬を曳く猿を連れた唐僧の像が描かれている。宋と敵対した遼(契丹)の墳墓から発掘された彫刻にも、雲に乗る猴行者とそれを拝む三蔵などの像が描かれたものがある(ただし、この像については三蔵取経図ではなく、孝子図であるとする説もある)。また福建の南隣にある江西と広東の省界の梅嶺という山中には、旅する婦人をさらう「斉天大聖申陽公」という妖猿の伝説があり(明代洪武年間の文言小説 「申陽洞記」、明代嘉靖年間の白話小説 「陳巡検梅嶺失妻記」共に初唐の伝奇小説 作者不明の『補江総白猿伝』 からの派生作とされる)、サルの物語には親近感があった。これら福建を中心とした猴王神・白猿伝・妖猿斉天大聖の伝説が、『詩話』の猴行者と結びつくことで、次の時代の元本西遊記の「孫行者」像へ発展していくことになる。
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