大國神社 (盛岡市)とは? わかりやすく解説

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大國神社 (盛岡市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/11 16:40 UTC 版)

大國神社
所在地 岩手県盛岡市津志田中央一丁目1-17
位置 北緯39度39分45.2秒 東経141度09分34.3秒 / 北緯39.662556度 東経141.159528度 / 39.662556; 141.159528 (大國神社 (盛岡市))座標: 北緯39度39分45.2秒 東経141度09分34.3秒 / 北緯39.662556度 東経141.159528度 / 39.662556; 141.159528 (大國神社 (盛岡市))
主祭神 大穴牟遅之命
創建 文化7年(1810年)
例祭 9月9日
地図
大國神社
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大國神社(だいこくじんじゃ)は岩手県盛岡市に鎮座する神社である。

歴史

文化7年(1810年)に、第10代盛岡藩主・南部利敬により、当時『津軽町』と称されていた津志田地域の総鎮守として創建された。

南部利敬は文事に造詣が深く、俳人・小野素郷を、この神社の神主とした。 利敬をはじめとする多くの文人が素郷を訪ねて集まったといい、当時の津志田は文芸の中心地であった。 また、境内には桃の木が多く植えられ、この神社は『桃の宮』とも呼ばれていたそうである。 明治期の歴史家・新渡戸仙岳は、中国の桃源郷『武陵桃源』に対して津志田を『杜陵桃源』と称している。

第12代盛岡藩主・南部利済の時代には遊郭が繁盛し、遊女や楼主の納めた諸願成就祈願の絵画献額(絵馬)や、この神社の神主であり奥州俳諧四天王のひとりであった小野素郷筆の『俳諧之発句』などが奉納されている。 この内、絵画献額12枚および俳句献額3面が、遊郭で賑わった当時の面影を残す貴重な歴史資料として、昭和48年7月20日に指定有形文化財に登録された。 絵画献額のほとんどは板画に極彩色を豊かに描かれており、当時の雰囲気をよく伝えている。

また、境内には祭具、手水鉢、石灯籠などの貴重な史料も数多く残っている。

文化財

盛岡市指定有形文化財
  • 大国神社献額 15面(1973年7月20日指定)[1]

境内

境内には、素戔嗚尊を祀る八坂神社もある。

脚注

  1. ^ 盛岡市指定文化財(盛岡市サイト)

出典

  • 大國神社[リンク切れ] - 岩手県神社庁ウェブサイト

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