光合成の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 18:35 UTC 版)
1648年にフランドルの医師であったヤン・ファン・ヘルモントは、鉢植えのヤナギに、水だけを与えて成長させる実験を行った。生育前と後で、鉢植えの土の重量がほとんど変わらなかったため、彼は「木の重量増加は水に由来する」と考えた。質量保存の法則が確立する1世紀も前のことであった。 1771年にイギリスの化学者および聖職者であったジョセフ・プリーストリーは「植物はきれいな空気を出して空気を浄化している」と考えた。彼は、密閉したガラス瓶の中でロウソクを燃やして「汚れた空気」を作り、そこにハッカとネズミを入れた物と、ネズミだけを入れた物を用意した。するとハッカを入れた方のネズミは生き続けたのに対し、入れない方のネズミは数秒で気絶し、その後死亡した。この実験結果を元に、彼は「呼吸で汚れた空気を浄化する何かが有る」と考えた。そして彼は、1774年に酸素を発見し、「脱フロギストン空気」と名付けた。しかし、酸素の燃焼と呼吸での役割を解明したのはアントワーヌ・ラヴォアジエである。さらに、ラヴォアジエは酸素(oxygen)と二酸化炭素(carbon dioxide)の名付け親でもある。 1779年、ジョセフ・プリーストリーの発見に影響を受けたオランダの医師ヤン・インゲンホウスは、水草による実験を行った。当時、水草から発生する気体は「ふつうの空気」であると考えられていた。しかし、彼はこの気体を集めて、そこに予め着火した可燃物を入れてみたところ、炎の勢いが増す事を発見した。次に、日光の当たる場所と暗闇に置いた場合の水草を比べてみたところ、前者からは気体が発生したのに対し、後者からは気体が発生しなかった。このような実験の結果から、彼は「植物の空気浄化能は葉の緑色部分であり、光の影響を受ける」ことを発見した。また彼は、火を燃やすことができる「きれいな空気」と植物を入れた容器を暗闇に置くと、その容器内の空気が燃焼が起きない「汚れた空気」に変わることも発見した。今で言う「呼吸」が起こっていたのである。 1782年にスイスの司祭ジャン・セネビエは、当時「固定空気」(common air)と呼ばれていた二酸化炭素が、光合成で取り込まれることを示し、二酸化炭素は根から取り込むと考えた。しかし、1804年に同じくスイスのニコラス・テオドール・ド・ソシュールは、ジャン・セネビエの二酸化炭素は土から取り込まれるという考えに疑問を持ち、ソラマメを土ではなく小石の上で育てる実験を行った。するとソラマメは普通に育ったため、植物は空気から二酸化炭素を得ていると判明した。また、植物の枝(使われたのはLonicera caprifolium、Prunus domestica、Ligustrum vulgare、Amygdalus persica の4種)を、二酸化炭素を吸収する石灰水と同封して育てたところ、葉が全て落ちてしまったことから、植物は二酸化炭素が無いと生きていけないことを発見した。さらに、有機物と酸素の総重量は、植物が取り込んだ二酸化炭素の重量よりも多いことも発見した。光合成には水が必要であるとし、以下の式を導いた。なお、当時はまだ化学式が使われていなかったため、言葉で式が書かれた。 二酸化炭素 + 水 → 植物の成長 + 酸素 1842年には、ドイツの物理学者ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤーによって、光合成は「光エネルギーを化学エネルギーに変換している」と明らかにされた。 1862年にドイツの植物生理学者ユリウス・フォン・ザックスは、葉緑体を顕微鏡で見た際に現れる白い粒は、取り込まれた二酸化炭素と何らかの関係を有するのではないかと考えた。彼は当時既に知られていたヨウ素デンプン反応を参考に、日光に充分当てた葉にヨウ素液を付着させた。すると葉は紫色に変色した。この結果から彼は「植物は日光が当たると二酸化炭素を取り込んで葉緑体の中でデンプンを作り、それを使って生きている」ことを発見したのであった。
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