傀儡国家・理想国家・第3の歴史認識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 08:32 UTC 版)
「満洲国」の記事における「傀儡国家・理想国家・第3の歴史認識」の解説
中華人民共和国の歴史書や事典などでは、日本が東三省を武力占領した後に建国した傀儡政権、傀儡国家とされ、その傀儡性や反人民性を示すために「偽満洲国」あるいは「偽満」と称しており、中華民国(国民党・台湾政府)で出版されたものでも同じである。日本での見方は当然のように違い、おおむね満洲国の政治実態に重点をおく「傀儡国家」論、満洲国の政治言説の分析力点をおく「理想国家」論の二つに分類できるが、辞書や歴史辞典の類においてみれば、日本または関東軍の傀儡国家と規定するものが多い。また、満洲国が傀儡国家か理想国家かという二者択一の問題を重要視しない第3の歴史認識ともいうべき新たな視点が日中両国の歴史マニアの間で浮上してきた(傀儡国家・理想国家・第3の歴史認識参照)。 日本国内においては、満洲国を、日本や関東軍の傀儡国家とみなす立場に関して、山室信一、加藤陽子、並木頼寿のような日本の研究者がいる。 大日本帝国の立場において、以下のような論述がある。 農業学者新渡戸稲造は在米中の1932年(昭和7年)8月20日、CBSラジオでスティムソンドクトリンに反論する形で「満洲事変と不戦条約」について言明し、「満洲事変は自己防衛の手段としてなされたものであって侵略ではなく、満洲国は一般に考えられているように日本の傀儡政権ではない」と表明している。親日運動家シドニー・ギューリックは1939年の自著『日本へ寄せる書』において、「支那における排日運動は極めて徹底したものである。一般民衆に排日思想をふき込む許りでなく子供の排日教育にも力を注ぎ、このためには歴史上の事実さへも歪め、虚偽の歴史を教えて子供の敵愾心をそそり、憎悪の念を植え付けていった」「例えば満洲は支那本土の一部であるにもかかわらず日本がそれを奪ったと教える。しかし歴史上満洲が支那の一部であった事実は未だ一度もなく、逆に支那本土が満洲の属国であった歴史上の事実がある位である。これなどは全然逆な事実を教えるものであるが、その目的は一に満洲から日本の勢力を駆逐しようとするところにあったわけである」と述べている。 オーウェン・ラティモアは、The Mongols of Manchuria(1934年)のなかで、中国は確かに西洋列強の半植民地に転落したが、同時に中国はモンゴルやチベットなどの諸民族に対し、西洋列強よりも苛烈な植民地支配を強制し、無数の漢民族をモンゴルの草原に入植させては軍閥政権を打ち立て、現地人が少しでも抵抗すれば、容赦なく虐殺しており、西洋列強と中国に比べて、新生の満洲国はモンゴル人の生来の権益を守り、民族自治が実現できている、と評価している。 しかし、民族自治ところか日本内地人が圧倒的優位に立つ植民地的国家であったという評価がされることもある。
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