傀儡大統領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 23:40 UTC 版)
チェコスロバキアの解体後、ベーメン・メーレン保護領の大統領の地位に留まることはできたが、1939年11月にはヒトラーと総督コンスタンティン・フォン・ノイラートへの忠誠を誓わされた。ハーハは穏健的なノイラートの下で一定の権限を持っていたが、ラインハルト・ハイドリヒが副総督に就任して以降は一切の権限を奪われ、首相のアロイス・エリアーシらハーハの側近たちは逮捕された。 エンスラポイド作戦によってハイドリヒが暗殺されると、ヒトラーは報復のため1万3,000人のチェコ人を殺害し、ハイドリヒの葬儀に出席したハーハに対して「今後このような事件が起きた場合は、全てのチェコ人の追放を検討する」と恫喝している。 1945年5月9日、ソビエト軍がプラハを占領すると、ハーハは5月13日に逮捕されパンクラック刑務所(英語版)に収監された。既に病気にかかっていたため刑務所内の病院に移されるが、6月26日に病院内で病死した。遺体はヴィノフラディ墓地(英語版)に墓石も置かれずに埋葬され長年放置されていたが、現在は墓石が置かれている。
※この「傀儡大統領」の解説は、「エミール・ハーハ」の解説の一部です。
「傀儡大統領」を含む「エミール・ハーハ」の記事については、「エミール・ハーハ」の概要を参照ください。
- 傀儡大統領のページへのリンク