健康アドボカシー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:25 UTC 版)
「ベルナール・マクファデン」の記事における「健康アドボカシー」の解説
マクファデンは、それまで神経性無食欲症の症状としか見られていなかった断食を、健康法として普及させた。彼は、断食が、肉体的健康を獲得するための最も確実な方法の1つであると強く感じていた。彼のところに行った患者の多くは、体を若返らせるためと称して一週間の断食をさせられた。彼は断食について、「人は、他の人を恥とするような強さとスタミナの程度を明らかにしながら、事実上全ての種類の病気に対して無条件の制御を行使することができる」と主張している。彼は断食を、「他の男よりも優れていることを証明するための道具」と考えていた。 マクファデンは、断食の前後に撮影した自身の写真を使って、断食の体へのプラスの効果を実証していた。例えばある写真には、7日間の断食の直後に100ポンドのダンベルを持ち上げている(とされる)マクファデンが写されている。彼はまた、人種的な偏見に訴えて断食を促進し、断食は文明的な白人だけが受け入れることを選ぶ自己否定の実践であると述べた。マクファデンは断食の難しさを認め、苦行としての断食は支持しなかったが、断食で得られる物がそのコストを上回ると信じていた。 彼は特に白パンの消費に反対し、これを「死の物質」と呼んだ。 マクファデンは、アメリカ東部と中西部の州に多くの「ヘルサトリウム」(healthatorium)を設置した。この施設では、「フィジカルカルチャー・トレーニングスクール」などの教育プログラムを実施していた。 彼は、肉体鍛錬とフィットネスについては評価を得たが、性に関する見方についてはそれ以上の悪評を得た。彼は性交を、単なる生殖活動ではなく、健康のための活動と考えていた。これは、当時の多くの医師が持っていた態度とは異なるものだった。当時の健康に関する権威としてシルベスター・グラハム(英語版)とジョン・ハーヴェイ・ケロッグが挙げられるが、彼らは禁欲を勧めていた。 彼は世界中の何百万という人々に健康的で精力旺盛に生きることを説いた有名人だったが、『タイム』誌では「ボディ・ラブ・マクファデン」というあだ名で呼ばれ(彼はこのあだ名を嫌っていた)、多くの人から「変人」(kook)や「偽医者」(charlatan)の烙印を押された。猥褻容疑で逮捕されたこともあり、医学界からも非難されていた。彼は生涯を通して精力的に、薬に依存することや加工食品や上品ぶることに対して反対するキャンペーンを展開した。 マックファッデンは、フィジカルカルチャーに基づく宗教「コスモタリアニズム」(cosmotarianism)の創設を試みたが、失敗に終わった。 彼は、彼の提唱する方法を実践することで150歳まで生きられると主張した。 彼はマクファデン財団を設立し、ニューヨーク州ウエストチェスター郡に、ブライアクリフマナーのマクファデン・スクールと、タリータウン(英語版)のタリータウン・スクールという2つの寄宿学校を設立した。マクファデン・スクールでは、3歳から子供を受け入れていた。1943年3月7日の『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に掲載されたタリータウン・スクールの広告には「戦争する国の需要に応えるために」と書かれていた。タリータウン・スクールの男子生徒は制服を着て、軍隊式の規律を受けていた。マクファデン・スクールは1939年から1950年まで、タリータウン・スクールは1943年から1954年まで運営されていた。 ミケランジェロのダビデ像のポーズをとるマクファデン(1905年ごろ) 1923年
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