保守合同による結党と55年体制成立とは? わかりやすく解説

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保守合同による結党と55年体制成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:24 UTC 版)

自由民主党 (日本)」の記事における「保守合同による結党と55年体制成立」の解説

戦後日本の政党政治占領下での選挙から始まり当初極めて多く政党誕生した1946年昭和21年4月10日戦後第一回目の総選挙では、13全国政党含めて363のぼった保守政党は、戦前日本二大政党制築いた立憲政友会立憲民政党系譜踏襲する複数政党として再建されていたが、保守合同幾度も模索されながらも実現至っていなかった。 1955年昭和30年11月15日午後1時20分から、東京都神田中央大学講堂当時)にて自由民主党結党大会開かれた衆参両院議員地方代表・一般招待者の約1500人が出席した大会前日首脳六者会談整えられお膳立て通り進行し党規党則綱領政策活動大綱党役員満場一致可決承認された。こうして衆議院299人、参議院118人の勢力擁する近代政治史上初の単一保守政党成立した同年10月13日先立って開かれた社会統一大会において、4年左派右派分裂していた社会党再統一したことに危機感覚えた財界圧力もあって吉田茂鳩山一郎抗争終焉し、保守合同実現した自民党結党当時から与党として存在しそれ以降1993年衆議院選挙過半数を割るまでの38年単独政権担当することになる。 「吉田派」対「反吉田派」、「党人派」対「官僚派」、「戦前派」対「戦後派」など複雑な派閥対立要素絡んでいたため、三木武吉は「10年一党体制維持できればマシ方だろう」という程度認識だった。 結党から最初総選挙となった1958年昭和33年)の第28回総選挙で、自民党追加公認併せ298議席獲得定数467)。社会党同じく167議席で、両党で議席99%以上を占めた。こうして自民優位二大政党制である、55年体制成立した。 なお、結成直前1954年昭和29年)から結成9年経った1964年昭和39年)まで、アメリカ(以下米国具体的にホワイトハウスおよびアメリカ国務省)の反共主義政策基づいて中央情報局CIA)の支援受けていたことが後年明らかになった。CIAは、日本社会党政権誕生するのを防ぐことを目的自民党民社党に金を渡し、さらに選挙活動向けたアドバイス行っていた。現在米国政府はこの事実認めているが、他方自民党はこれを否定している。

※この「保守合同による結党と55年体制成立」の解説は、「自由民主党 (日本)」の解説の一部です。
「保守合同による結党と55年体制成立」を含む「自由民主党 (日本)」の記事については、「自由民主党 (日本)」の概要を参照ください。

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