保守合同へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:37 UTC 版)
しかし、造船疑獄をきっかけに吉田体制が崩壊する中で、内閣不信任案をつきつけられ、解散総選挙をもくろむ吉田に対し、「総裁あっての党ではない、党あっての総裁だ!」「自由党から吉田を除名する」と激怒。副総理の緒方竹虎と共に、退陣へのきっかけを作った。 昭和30年(1955年)の保守合同でもプロモーターとして活躍し、自由民主党結党に参加。自民党の初代参議院議員会長に就任。 昭和31年(1956年)緒方の急死に伴い、2月に後任の総裁代行委員となる。4月には参議院議長に選出される。
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