保守反動としての後半生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/26 06:52 UTC 版)
「フアン・ドノソ・コルテス」の記事における「保守反動としての後半生」の解説
ドノソ・コルテスは2月革命に危機感を抱いた。翌年のローマ共和国樹立に際しては自由主義が革命を助長するだけだったと考え、保守反動の立場へと完全に転向する。彼は1849年1月、マドリード議会で「独裁に関する講演」という題で演説し、2月革命はヨーロッパ文明の崩壊をもたらすものであり革命に対する救済策はカトリシズムへの帰依であると主張した。彼は独裁政権を樹立していたナルバエス将軍を支持するようになり、また1851年のルイ・ナポレオンのクーデターに対し財政的援助を与えた(しかし後にナルバエスやナポレオンの政権腐敗を厳しく批判する)。1849年の2月から11月までベルリンにスペイン大使として赴任し、1851年の2月から死の1853年5月3日までパリでスペイン大使として勤務した。1851年に教皇権至上主義者であるルイ・ヴィヨー(Louis Veuillot)の求めによって書かれた『カトリシズム、自由主義、社会主義に関する評論(Ensayo sobre el catolicismo, el liberalismo, y el socialismo considerados en sus principios fundamentales)』は、カトリシズム擁護と神学的な立場からの自由主義、社会主義批判の書物である。
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