作品と台本
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オッフェンバックのオペレッタの成功は台本作家と歌手に大きく依存している。この作品の風刺は主に神話上の人物を茶番劇風のばかげた状況の中で、裏返しに描くことである。オッフェンバックが利用している風刺の本質的なメカニズムとは「ある一つの状況と正反対の状況を設定し、尊敬すべきものを真っ向から揶揄することで非神格化することである。すなわち現実の真の姿を暴き出すこと」である。 『エスプリの音楽』の著者高橋英郎は本作の台本について「同時代の独裁政治のからくりを白日の下にさらけ出したものである。可愛い美女をつけ狙うジュピテル、嫉妬に苛まれる彼の妻ジュノン、自分たちの支配者の例にならう取り巻きたち。-中略-ジュピテルは政権維持のためには手段を選ばない。オリュンポスの腐敗は無論ブルジョワジーの腐敗も意味する。ジュピテルが神々に黄泉の国へ連れて行ってあげようと言えば、神々は楽しませてもらえると期待して、ジュピテルへの恨みも忘れてジュピテルをほめ称える。しかし、ジュピテルは世論だけは恐れている。最後にジュピテルはオルフェにウリディスを諦めさせるが、これは権力者が常に罰せられることなく世論を操れることが観客に明らかとなるのである」と説明している。 『オッフェンバック―音楽における笑い』の著者ダヴィット・リッサンによれば「1幕2場で神々がジュピテルに反旗を翻す場面は当時の社会の特徴的な論拠と言えよう。確かに第二帝政はまだすべての人々にとって《消費社会》までには到達していなかった。しかし、既に快楽の刺激や欲望を満たすことの難しさが欲求不満を募らせていた。表現形式こそ様々であるが、この根底のテーマはオッフェンバックの全作品を貫いている。そこには享楽への渇望と欲求不満の暗示が隠されている。-中略-第二帝政下においては『ラ・マルセイエーズ』は既に国歌ではなかったことに注目されたい。『ラ・マルセイエーズ』を歌うことは反体制思想の表れと見なされるため、固く禁じられていたのだ」。さらに、幕切れの場面は「既成価値の逆転で成り立った演劇の結末である。地獄の恐ろしいざわめきが止むと、歓喜のざわめきに変わる。そして、音楽の愉快な要素は主題を強化する。台本は地獄に落ちた人々の幸福を暗示している。しかし、ここでは異教の地獄を指しているため、普段は厳しい皇帝の検閲もこの箇所に気づかなかったか、あるいは、気づいたとしても体制打倒の意図があるとは夢にも思わなかったのであろう」。 『ラルース世界音楽事典』では「よく言われてきたように、オッフェンバックは、音楽ジャンルの絶対的ランク付けの害を被って評価された音楽家の一人である。つまり、彼のオペレッタは台詞や情況の滑稽さだけを取り上げて、他愛の無い娯楽ものと見なされることが多いのである。『地獄のオルフェ』あるいは『美しきエレーヌ』の音楽はその創意と共に旋律の素晴らしさ、劇的センスにおいて、多くのオペラ・セリアと比肩し、時としてそれを凌ぐものである」と評価している。
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