会社史とは? わかりやすく解説

会社史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:35 UTC 版)

木曽電気製鉄」の記事における「会社史」の解説

木曽電気製鉄株式会社1918年大正7年9月8日名古屋電灯株式会社の「臨時建設部」および「製鉄部」をもとに設立された。資本金1700万円で、母体となった名古屋電灯当時資本金1600万円)よりも大きな会社である。現物出資により名古屋電灯が総株式34のうち16握った本社愛知県名古屋市中区南長島町構え東京支店東京市麹町区東京海上ビル置いていた。主な役員取締役社長福澤桃介、同副社長下出民義常務取締役増田次郎角田正喬三根正亮そのうち福澤名古屋電灯社長下出同社副社長角田同社支配人であった名古屋電灯から木曽電気製鉄引き継いだものは、木曽川矢作川において名古屋電灯保有していた水利権および建設中資産と、準備中であった電気製鉄事業に関する資産である。資産評価額は200万円。この時点では、矢作川串原仮発電所1918年4月完成しており送電中であり、木曽川の賤母(しずも)発電所工事中大桑発電所準備工事中であった一方電気製鉄事業は、名古屋市南区東築地(現・港区竜宮町)に建設していた工場設立同日操業開始したことによりスタートした設立翌年1919年大正8年10月20日木曽電気製鉄から木曽電気興業株式会社社名変更。翌11月出願発電所発生電力最大1万8,000キロワット大阪市京都市周辺へと供給する目的京阪電気鉄道関係者との共同出資により大阪送電株式会社設立し大阪送電計画にも着手した。これに前後して1919年7月24日東築地土地株式会社を、1920年大正9年1月28日大正土地株式会社それぞれ合併し資本金1860万円増資している。 大阪送電設立と時を同じくして、山本条太郎率い北陸電化大阪電灯京都電灯各社関係者により日本水力株式会社設立された。同社北陸地方発電した電力京阪方面送電する計画持っており、木曽地方電力同じく京阪方面へと送電する計画を持つ木曽電気興業大阪送電とは事業目的重複していた。これら3社の合同計画は、1920年春に始まる戦後恐慌期に浮上する金融業界環境電力需要動向から2方面事業並立するのは不利かつ困難であると判断されたためであった木曽大阪側の社長福澤桃介日本水力社長山本との間に協議持たれ結果1920年10月8日付で3社は合併契約締結木曽電気興業ではこの合併契約同年11月8日株主総会にて承認した木曽電気興業に関する合併条件は、存続会社である大阪送電3000万円(うち1401万円払込)を増資し、それに伴う新株解散する木曽電気興業対し6030払込株式3720001250払込株式228000交付する、というものであった。また合併前に日本水力資金拠出により同社株式44000木曽電気興業株主取得させる、という事項も付属していた。 3社合併は翌1921年大正10年1月20日付で逓信省認可下り同年2月25日付で合併完了大阪送電木曽電気興業日本水力の2社を吸収合併する形で大同電力株式会社発足した大同電力成立時点で、すでに木曽電気興業の手により1919年11月賤母発電所竣工しており、2月中に串原発電所完成続いて大桑発電所8月竣工した大同電力はこれ以降水力開発推進あわせて大阪東京方面への送電線建設し大正・昭和初期大手電力会社五大電力」の一つとして地歩を固めていくことになる。

※この「会社史」の解説は、「木曽電気製鉄」の解説の一部です。
「会社史」を含む「木曽電気製鉄」の記事については、「木曽電気製鉄」の概要を参照ください。

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