主題・構成
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『真夏の海』は、伊豆今井浜で実際に起こった水死事故を下敷きにして組み立てた小説であるが、三島由紀夫は作品の〈眼目〉を〈最後の一行にある〉として、この最後の〈一点を頂点とした円錐体をわざと逆様に立てたやうな、普通の小説の逆構成〉を方法論として考えたとしている。そして、〈通常の意味での破局(カタストロフ)が冒頭にあり、しかもその破局には何の必然性〉もなく、〈その必然性としての宿命が暗示されるのは最後の一行〉であるとしながら、通常のギリシャ悲劇であれば、この最後の一行から始まり、〈冒頭の破局を結果とすべき〉ところを、『真夏の死』では、それをあえて〈逆様〉に構成したと自作解説している。 通常の小説ならラストに来るべき悲劇がはじめて極限的な形で示され、生き残つた女主人公朝子が、この全く理不尽な悲劇からいかなる衝撃を受け、しかも徐々たる時の経過の恵みによつていかにこれから癒え、癒えきつたのちのおそるべき空虚から、いかにしてふたたび宿命の到来を要請するか、といふのが一編の主題である。或る苛酷な怖ろしい宿命を、永い時間をかけて、やうやく日常生活のこまかい網目の中へ融解し去ることに成功したとき、人間は再び宿命に飢ゑはじめる。このプロセスが、どうして読者にできるだけ退屈を与へずに描き出せるか、といふ点に私の腕だめしがあつた。小説のはじめに最も刺戟的な場面を使つてしまへば、そのあと、読者は何ら刺戟を受けなくなつてしまふ惧れがあるからである。 — 三島由紀夫「解説」(『真夏の死――自選短編集』)
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主題・構成
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『愛の渇き』は、劇的な性格の鮮明さを持たせるために、仏蘭西古典劇に倣い、王、王妃、王子、王女、コンフィダン、コンフィダント、という人物配置にしている。三島は、〈弥吉は王である。悦子は王妃である。三郎は王子である。美代は女中だが、いはば王女に該当する。謙輔夫婦は、コンフィダンとコンフィダントである〉と説明している。 主題については、〈救済〉を欲せず己の幸福を自称するヒロインの、反ボヴァリー夫人、反テレーズ・デスケイルゥ(Thérèse Desqueyroux)的主題で、〈唯一神なき人間の幸福といふ観念〉を追求するために、〈希臘神話の女性に似たものを、現代日本の風土に置いてみようと試みたもの〉としている。また、自身の〈気質〉と折れ合うことを試み、〈気質と小説技術とを、十分意識的に結合しよう〉とした作品だとしている。文体は、〈モーリヤックの一時的な影響下に生れた文体〉と説明している。 三島は、それ以前の短編『獅子』において、エウリピデスの『メディア』を典拠に、メディアのように嫉妬に狂うヒロイン・繁子を描き、ギリシア悲劇に拠りながら、そこをより突き抜けたヒロインの完全な勝利と破滅を結末としたが、『愛の渇き』のヒロイン・悦子もまた、繁子同様に激しい嫉妬に苦しみ、その嫉妬の究極の在り方を作品主題としていると松本徹は説明している。
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