世界各地の中庭のある建築物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 14:36 UTC 版)
紀元前2000年ごろのウルでは、屋根のない広場を取り囲むようにレンガ製の2階建ての住居が建てられていた。台所、仕事場、客間などが1階にあり、私室が上の階にあった。 古代ローマのドムスでは、中央にある屋根のない部分を「アトリウム」と呼んだ。今日では「アトリウム」という語はガラスで覆われた中庭を指すのが一般的である。古代ローマのアトリウムのある家は通りに沿って並んでいた。1階建てで外壁には窓がなく、採光はもっぱら玄関とアトリウムに頼っていた。アトリウムの中心には本来は炉床があって火が焚かれていたが、それは別の場所に移され、インプルウィウム (impluvium) と呼ばれる雨水を溜めた浅いプールがアトリウムの中央に設けられるようになった。ドムスには第2の開口部として庭園が配されることが多く、その周囲をギリシア様式のコロネードで取り囲んでいた。これをペリスタイルと呼ぶ。この中庭の周囲は柱廊のようになっており、後の修道院の構造に影響を与えた。 中東の中庭のある住居は、遊牧民としての生活が影響している。台所、寝室など部屋の役目を明確に決めず、気温や太陽の位置に従って最適となるように部屋の役割を設定した。夏は平らな屋根の上で眠ることも多かった。イスラム文化においては女性に外出させない場合があり、女性にとって中庭が唯一の屋外空間ということもあった。 中国の伝統的な中庭のある住居を四合院と呼び、広場を取り囲むようにいくつかの住居が配置されている。それぞれの住居には家族の各員が住み、家族が増えると背後にさらに住居を追加した。中国の中庭は「院子(ユアンツ)」「天井(ティエンテン)」と呼ばれ、庭園と井戸があり、プライバシーと静穏の場所になっている。場合によっては複数の中庭があり、表通りから離れるに従ってプライバシーがさらに確保されるようになっている。来客は一番外側の中庭で迎えられ、一番内側の中庭にはごく親しい友人や家族しか入らせなかった。 中国の住居をモデルとして現代化したバージョンでは、中庭を配することで住居を翼に分割することができる。例えば、一方の翼には客間やダイニングを配し、もう一方の翼には家族の寝室などプライバシーを重視した部分を配する。例としてメリーランド州ボルチモアの Hooper House がある。 中世ヨーロッパの農家は中庭のある住居の典型の1つである。4つの建物が四角い中庭を取り囲むように建ち、それぞれが急勾配の草葺きの屋根になっている。中央の中庭は作業場、集会場、小さめの家畜を飼う場所として使われた。中庭と外は2方または3方で高くなった歩道で繋がっていた。このような構造は、襲撃に備えた防御のための構造でもある。 20世紀前半、ロサンゼルスで中庭のある住居の新たな流行が生まれた。見た目は地中海風の建築を真似ているが、中庭を効果的に配することで開かれた雰囲気と安全性を両立し、スケール感を出している。この建築は人気となり、アメリカ合衆国の西海岸全体に広まった。ロサンゼルスにはそのような住居が多数あり、『メルローズ・プレイス』などのテレビドラマにもよく出てくる。 日本では町屋に坪庭がある。ドイツにおける中庭をもつ建物の例としては、ミーツカゼルネ(ドイツ語版)(兵舎のような賃貸アパートの意)や、ミッテ区にあるハッケシェ・ヘーフェなどがある。宗教空間でも教会、モスク、仏教寺院に中庭がある。
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