下地の仕官と事件発生まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 08:57 UTC 版)
「サンシー事件」の記事における「下地の仕官と事件発生まで」の解説
下地の下級士族であった下地仁屋利社(しもじにーやりしゃ)は、脅迫に屈して盟約には参加したものの、家族扶養のため派出所に小使として就職した。 蔵元幹部は当初より下地が派出所で働いていることを把握していたが黙認していた。しかし、平民アサキなるものの通報を受けて、血盟盟主としての体面を守るため、下地の家族3人(両親・弟)全員を、盟約通り流刑(伊良部島)処分とした。 これを受けて警官は直ちに蔵元幹部である佐和田与人を呼出して、伊良部島から下地の家族を呼び戻させた。警官は家族を事情聴取し、その残酷さに驚き、再び佐和田を呼出して責任者を連れてくるよう命じ、7月21日、7名が出頭した。しかし警官は出頭者に対して告諭のみで済ませた。 しかしこの時、外ではニヤが2名の不審者を捕えていた。『派出所の門外に両人の土人がたたづみて、手に礫を持ち、中を窺ふ様子なるを、小使の太郎と下地ニヤは、早くも害心ある曲者と見咎めて、不意に立掛りて打倒し、縛り上げたるが、隙を伺いて、其夜のうちに逃げ失せたり。』 翌22日午後1時頃、ニヤは通訳の大城と、藍屋川(井戸の名)へ水汲みに行った。そこに3人の女がおり、昨日のニヤの捕物について話していた。そのうちの1人は在番役人金城松(平民だが、親雲上号を持つれっきとした役人。本籍は首里当蔵村)の妻、金城トガであったが、彼女が言うには「夫も是も皆、アノ下地ニヤが所為なり。さすがに大和人は役所の門外を歩く者までを捕まえねど、奴は家族を流刑にされた事を恨んで、有る事無き事を役人に告げ、勝手に縛りて連れて往くと云えり。今朝村の衆が話していたことだが、斯様の奴を活かし置きては、後来我々の為に、何程の仇をなすかも知れねば、疾く撲殺して退る外に仕方がなし」これを聞いてニヤは激高し、女の髪の毛を摑んで、派出所の近くまで引きずっていったが、そこで同僚の小使太郎、一般市民3名が仲裁に入り、「この婦人は金城親雲上の内室なれば、身貴の人といい、女子のことゆえ、聊かの過ちは免じたまえ」などと詫びたので、ニヤも解放した。しかし女は感謝するどころか「今にこの仇は復してやるぞよ」などと捨て台詞を吐いて逃走した。 この日、西里、仲里、東仲宗根の各村では、金城トガが言ったとおりの気運であったところに、金城親雲上が村々を駆け回り「ただ今、我らが妻のトガを、例の下地めが役所へ引ずりてこれこれの恥辱に遇わせたり、一度ならず二度ならず、島の為に害をなす奴なれば、是から懲らしめに往くぞ、同意のものは我につづけ」などと暴動を煽った。金城親雲上は暴徒を先導して、派出所へと向かった。 奥平の供述によれば、金城松の妻の一件について、洲鎌与人大宜味筑登之、伊良部島目差津嘉山仁屋から報告を受け、『不問に差置きては全島士民の取締ひ出来兼ることに付』下地ニヤを捕縛せんとして、小使4名を各村に派遣して人数を集めようしたところ、まだ返事が来ないうちに、勝手に集まって騒ぎ出すのが観測された。そのため『下地仁屋儀は当役場へ引連れ可参迄の筈故、途中に於て打殺しては相成らざる旨』命令すべく、改めて脇筆者大宜味仁屋、下里村旧加勢勝連仁屋を派遣し、奥平本人は旧在番役仲村朝諒の自宅に向かった。 22日、午後3時頃、金城親雲上率いる暴徒が派出所を包囲した。金城親雲上はまず派出所裏門から勝手口に向かい、「下地ニヤは居るか、先刻我らが妻を打擲したる義に着き、直に面談すべきことあり、門前まで出でよ」と呼ばわった。しかし反応はなく、むしろ他の小使が外回りの警官を呼ぶために走り去るのが見られた。そこで急いで表にまわり、暴徒とともに正面から押し入り、小使部屋に隠れていた下地ニヤを捕えて誘拐した。 派出所詰めの警官は暴徒の数を見て、下手に刺激した方がむしろ危険、「殊に下地を連れ往きたりとも、生命に及ぶまでの事はあるまじ」と思い、誘拐を黙過する一方、急ぎ仲村朝諒にニヤの身柄確保を要請したが、夕方頃、死亡の報告がきた。 奥平の供述によれば、仲村宅に向かう途中で仲村本人と在番筆者伊集親雲上に会い、一緒に歩いていたところ、先に派遣した勝連仁屋に出会い、『さきに申遣はしたる云々、集合ある(ニサイ)共へ未だ達せざる中、前条五ヶ村の(ニサイ)共凡千二百人計相集り、既に下地仁屋なる者を警視派出所より引出し、途中に於て乱打に及び候内、東仲宗根村、氏不知、畩(人名。ケサ)が、最後の殴打に因て、遂に失命致させ候趣き』を報告されたので、その旨派出所に通報したという。
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