七年戦争における働き
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「ドゥビスラフ・フリードリヒ・フォン・プラーテン」の記事における「七年戦争における働き」の解説
七年戦争において、フリードリヒ・フォン・プラーテンの連隊は1756年、ザクセンへ進軍した。1757年3月4日、インハーバー(連隊所有者)として第8「ランガーマン」竜騎兵連隊を受領し、少将に昇進する。続いて1757年4月15日にはグロース=イェーガースドルフの戦いに加わった。戦いの後、連隊はスウェーデン軍からポメラニアを防衛するべく同地へ移転し、シュトラールズントを攻囲した。1758年初頭、ヒンターポンメルン(英語版)へ移ると、6月までロシア軍に対抗するべく連隊はその地に展開した。8月25日にはツォルンドルフで戦い、息子たちから2名を失っている。ロシア軍の撤退後、連隊はゴルノウやグライフェンベルク(英語版)といった、ロシア軍に占領されていた町から残存部隊を駆逐する。続いてスウェーデン軍に抗して北方へ向かい12月、パーゼヴァルクの戦いの後、指揮下の連隊はプレンツラウ(英語版)を占領した。1759年1月17日、デンミーン(英語版)の攻略に参加すると、再びロシア軍に抗して今度はシュトルプ一帯に展開している。 1759年5月12日、プラーテンは中将に昇進し、ザクセンで作戦中の王弟、ハインリヒ公子の軍で騎兵の指揮を託された。公子はプラーテンをフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・クライスト(英語版)とともにバンベルク一帯への略奪行へ派遣し、成功を収めた。続いてプラーテンは国王の軍に加わり、クーネルスドルフの戦いで敗北を喫する。1760年5月、彼はゴットロープ・ハインリヒ・フォン・トートレーベン少将率いるロシア軍の、プロイセンへの進撃を阻止する命令を受け、フリードリヒ・ヴィルヘルム・クヴィリーン・フォン・フォルカード(英語版)中将とともにポメラニアのノイマルク(英語版)へ派遣された。その後、プラーテンはオーストリア軍とロシア軍のシュレーズィエンへの接近を妨害するべくランツベルクに配置された。なお、さらに重要だったのはブレスラウの町の防衛である。彼の尽力にも拘わらず1760年10月、トートレーベン少将並びにサハール・チェルヌイショフ(英語版)中将率いるロシア軍と、フランツ・モーリッツ・フォン・ラシー(英語版)伯爵大将指揮下のオーストリア軍はベルリンを占領した。 ロシア軍とオーストリア軍がベルリンから撤退した後、プラーテンは国王の主力軍に再合流し、11月3日にトルガウで戦う。1761年9月10日、彼は軍を率いてロシア軍の兵站拠点を攻撃するべくポーランドへ進軍した。そしてケブリンでロシア軍の集積所を破壊する。9月15日にはゲスティーン(英語版)修道院の近くで荷車5,000台と兵員4,000名を伴うロシア軍の大規模な輜重部隊に遭遇した。「フォン・ローテンブルク」、「フォン・アルニム」、「ゲルネ」及び「フォン・ヴンシュ」各連隊に属する大隊とともに、彼はその輜重の鹵獲に成功する。そこから続いてポーゼンへ前進し、9月17日にもう一つの集積所を占領した。 その間にロシア軍はコルベルク(英語版)を3度目の攻囲下に置いており、解囲を目指すプロイセン軍(英語版)の試みを全て妨害していた。ランツベルクにおける作戦行動中、ヴァルタ川に架かる主要な橋が破壊されていたので、プラーテンの部隊は浮橋や筏を利用して渡河を行う。9月30日にはケルリーン(英語版)で、ロシア軍からパルセンタ川(英語版)に架かる手つかずの橋を奪還し、その時の戦闘で200名の捕虜を得ることに成功した。彼はそこから、パルセンタ川の岸に沿って攻囲下の要塞への接近を試みる。しかしコルベルクの南西8kmの地点で行われた3時間に及ぶ戦いを経て、ピョートル・ルミャンツェフ(英語版)率いるロシア軍がシュピー(英語版)村で進軍を阻止した。プラーテンは10月17日、5,500名を率いてゴルノウへ突破し、そこから補給を確保しようと試みたが、ロシア軍のフェルモル将軍はイーナ川(英語版)の橋を挟んだ砲戦の末に彼を押し止める。最終的に要塞の救援は叶わず、コルベルクは1761年12月16日に降伏を余儀なくされ、守備隊はロシア軍の捕虜となった。 1762年1月、プラーテンはザクセンのハインリヒ公子の軍へ帰還した。指揮下の連隊はペーガウ(英語版)とツァイツ(英語版)に配置され、その年の戦いに参加することはなかった。
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