七年戦争とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/19 16:59 UTC 版)
「ピエール・アンドレ・ド・シュフラン」の記事における「七年戦争とその後」の解説
七年戦争の間、シュフランは幸運にも軍艦「オルフェ」の士官としてイギリスのジョン・ビング提督との戦いに参加することが出来た。この海戦は戦術的には互角の損害であったが、少なくともフランスの敗北ではなく、戦略的にはメノルカ島のイギリス要塞の降伏をもたらした。しかし、1759年のラゴスの海戦において、シュフランは乗艦の「オセアン」とともにエドワード・ボスコーエンの捕虜になった。1763年に7年戦争が終結するとシュフランは再び騎士団のキャラバンに参加し、より高位で有利な地位を得ようと考えた。しかし、ジーベック「カメレオン(Caméléon)」の指揮を任され、バーバリ海賊に対抗するための巡航を行うことになった。 1767年から1771年にかけて、自らのキャラバンを実行して、騎士団において騎士から指揮官の位に昇進した。その時からアメリカ独立戦争の開始まで、フランス政府がその士官に実地体験を与える目的で設置した新造の戦隊で艦を指揮した。船を操る彼の気力と能力は、上官たちから大きな賞賛をうけた。シュフランは18世紀フランス海軍の最高の指揮官と呼ばれている。
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