七年戦争とその結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:18 UTC 版)
「フランス領ルイジアナ」の記事における「七年戦争とその結果」の解説
フランスとイギリスの間の敵対意識はヨーロッパでの七年戦争より2年も前に再び燃え上がったが、1763年のパリ条約締結よりも早くに静まることになった。フランスは初期 (1754-1757)の間、同盟インディアンの貢献もあって幾つかの戦いに勝利していたが、後半 (1758-1760)はカナダで敗北を繰り返した。モントリオールの降伏でルイジアナは孤立化した。 1763年2月10日に調印されたパリ条約では、フランスの北アメリカからの撤退が決まった。カナダとミシシッピ川の東の領土はイギリスに譲渡された。ニューオーリンズとミシシッピ川の西の領土はスペインに渡された。この決定によって植民地を離れたフランス人開拓者もいた。しかし、スペインが新しい領土に本格的に進出したのが遅かった(1766年)ので、スペイン人の移民はそれ程多くはならなかった。東部にできたアメリカ合衆国は西部への拡大を目論んでいた。ミシシッピ川の商業目的の航海は1795年にはアメリカ人にも許可された。
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