七年戦争後の任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/16 05:21 UTC 版)
「チャールズ・イングリス」の記事における「七年戦争後の任務」の解説
この戦闘からほどなくして、イングリスはポストキャプテン(英語版)(肩書のみでなく職権を有する大佐)となり、1761年12月15日に80門砲のニューアークニューアーク(英語版)の指揮官に任命された。1762年1月、准将サー・パーシー・ブレットの幅広の代将旗をかかげて、ニューアークは地中海へ向かった。スペインの参戦を見越して、チャールズ・ソーンダース提督の支援を行うためだった。艦隊としての戦闘はなかったが、1762年、ニューアークは地中海にとどまり、ミノルカ島の再占領の支援をした。しかし最終的にこの島は、パリ条約の条件に基づいてイギリスに返還された。イングリスは条約締結後、ニューアークでイギリスへ戻り、1763年8月にこの艦は退役となった。このため、イングリスは再び乗るべき艦を失い、1770年9月になって、フォークランド危機のため、任務に就くことになった。 フォークランド諸島の所有を巡って、イギリスとスペインの緊張が高まり、イギリス海軍はあわただしく任官を行い、戦争を見据えて多くの艦を準備した。イングリスのかつての指揮官で、提督となっていたホルボーンは海軍卿でもあり、おそらくはイングリスにその艦の一つを手配することに関わっていたかと思われる。その艦は28門艦のリザード(英語版)だった。しかしこの任命はわずかな期間だけだった。この領有問題にフランスの支援を受け損ねたスペインは、その後主張を取消し、戦争の危機は過ぎ去った。海軍はリザードを登録から外し、イングリスは半給生活に戻った。
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