一志中学校の開校と校舎建設
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「津市立一志中学校」の記事における「一志中学校の開校と校舎建設」の解説
1955年(昭和30年)の一志町発足時より将来的な中学校統合が検討されていたが、波瀬地区が遠隔であるため見送られてきた。統合議論が本格化したのは1967年(昭和42年)1月議会以降であり、1969年(昭和44年)10月の教育委員会で統合推進を決定、同月の定例会で校地造成費5000万円、校舎建設費2億円を予算として提案した。同年12月議会では1970年(昭和45年)度に校地の購入、1971年(昭和46年)度に名目上統合し、1972年(昭和47年)度に実質統合することが教育長から発表された。「名目統合」とは三和・波瀬両中学校の校舎を使いながら、校名を「一志中学校」、校長は1名とするというものであった。1970年(昭和45年)6月の教育委員会では1971年(昭和46年)に校舎、1972年(昭和47年)に校舎附属建物、1973年(昭和48年)に屋内運動場を建設すること、通学路となる三重県道赤桶一志線を改良すること、通学距離が5km以上となる生徒に通学費補助をすることなどからなる統合推進計画が議論された。 その後、校地として一志町中心部の高野団地南端、三和中学校から約200m離れた地点の山林および田畑45,000m2を選定し、1970年(昭和45年)7月9日にすべての買収を完了した。1971年(昭和46年)4月16日から陸上自衛隊久居駐屯地三一八地区施設隊が校地の整地を開始し、5月8日から校地への取り付け道路の建設が始まった。整地は6月11日に完了、9月12日に校舎建設の競争入札が行われ、9月18日に起工した。そして1971年(昭和46年)4月1日に一志町立一志中学校が開校した。 1973年(昭和48年)3月に旧三和・波瀬両中学校から新校舎へ移転、同年4月1日に開校式を挙行した。校舎は4月20日に完工、5月5日に竣工式が行われた。続いて8月23日から体育館の建設を開始し、1974年(昭和49年)3月10日の第1回一志中学校卒業式の開催に工事が間に合った。またクラブ室棟や自転車置場などの建設工事も行われ、1974年(昭和49年)5月5日に一志中学校全工事の落成式を実施した。式典は午前中に行われ、午後からは笠松茂らを招いて体操模範演技が披露された。 一連の校舎建設工事の完了後も、プールとテニスコートが未完成であった。プールは1977年(昭和52年)4月に藤川建築事務所に設計を依頼、5月19日から指名入札で落札したユニチカにより整備が進められ、7月27日に竣工式が行われた。テニスコートは1977年(昭和52年)から吉井組が周辺整備をした後、1978年(昭和53年)7月に水野建設によって5面建設された。同年、一志中学校は東海三県図書館コンクールで読書指導部門優秀賞を受賞した。 2003年(平成15年)、学力向上フロンティアスクールに指定され、少人数授業やチームティーチング(TT)が国語・数学・理科・社会で実践された。2006年(平成18年)1月1日、市町村合併により、津市立一志中学校に改称した。
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