一志中学校の開校と校舎建設とは? わかりやすく解説

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一志中学校の開校と校舎建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 17:01 UTC 版)

津市立一志中学校」の記事における「一志中学校の開校と校舎建設」の解説

1955年昭和30年)の一志町発足時より将来的中学校統合検討されていたが、波瀬地区遠隔であるため見送られてきた。統合議論本格化したのは1967年昭和42年1月議会以降であり、1969年昭和44年10月教育委員会統合推進決定同月定例会校地造成5000万円校舎建設費2億円を予算として提案した同年12月議会では1970年昭和45年)度に校地購入1971年昭和46年)度に名目上統合し1972年昭和47年)度に実質統合することが教育長から発表された。「名目統合」とは三和波瀬中学校校舎使いながら、校名を「一志中学校」、校長は1名とするというものであった1970年昭和45年6月教育委員会では1971年昭和46年)に校舎1972年昭和47年)に校舎附属建物1973年昭和48年)に屋内運動場建設すること、通学路となる三重県道一志線を改良すること、通学距離が5km以上となる生徒通学補助をすることなどからなる統合推進計画議論された。 その後校地として一志町中心部高野団地南端三和中学校から約200m離れた地点山林および田畑45,000m2を選定し1970年昭和45年7月9日すべての買収完了した1971年昭和46年4月16日から陸上自衛隊久居駐屯地三一地区施設隊校地整地開始し5月8日から校地への取り付け道路の建設始まった整地6月11日完了9月12日校舎建設競争入札が行われ、9月18日起工した。そして1971年昭和46年4月1日一志町一志中学校開校した1973年昭和48年3月に旧三和波瀬中学校から新校舎移転同年4月1日開校式を挙行した。校舎4月20日完工5月5日竣工式が行われた。続いて8月23日から体育館建設開始し1974年昭和49年3月10日第1回一志中学校卒業式開催工事間に合った。またクラブ室棟や自転車置場などの建設工事行われ1974年昭和49年5月5日一志中学校工事落成式実施した式典午前中に行われ午後からは笠松茂らを招いて体操模範演技披露された。 一連の校舎建設工事完了後も、プールテニスコート未完成であったプール1977年昭和52年4月藤川建築事務所設計依頼5月19日から指名入札落札したユニチカにより整備進められ7月27日竣工式が行われた。テニスコート1977年昭和52年)から吉井組が周辺整備をした後、1978年昭和53年7月水野建設によって5面建設された。同年一志中学校東海三県図書館コンクール読書指導部優秀賞受賞した2003年平成15年)、学力向上フロンティアスクールに指定され少人数授業チームティーチングTT)が国語数学理科社会実践された。2006年平成18年1月1日市町村合併により、津市立一志中学校改称した

※この「一志中学校の開校と校舎建設」の解説は、「津市立一志中学校」の解説の一部です。
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