一二等車
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5335形ホイロ5335 - 5394・7400 - 74651910年から1917年にかけて、幹線系に残存する非貫通構造の箱形客車の淘汰、およびそれらの改造のための予備車確保を目的として、川崎造船所兵庫工場、日本車輛製造、汽車製造東京支店、新橋工場、大井工場、大宮工場、神戸工場、鷹取工場、小倉工場、札幌工場と製造当時の有力車両メーカー各社と鉄道院直営工場を総動員して製造された、17m級一二等座席車。 同一形式内に一般向け量産車と宮廷列車用供奉車が混在しており、5350・5351(1910年新橋工場製)、7436(1915年大井工場製)、それに7453(1916年大井工場製)の4両が宮廷列車用に該当する。 一般車は二重屋根に明治45年式4輪ボギー台車を組み合わせるのを基本とするが、宮廷列車専用の供奉車として先行製造された5350・5351は台車が異なっており、明治42年式4輪ボギー台車を装着している。また供奉車の4両は同じく供奉車である5100形と同様、側板腰板が羽目板ではなく大形の一枚板を用いて平滑に仕上げてあるため、その外観の印象は一般向け量産車とは異なったものとなっている。 全車とも便所と洗面所が一二等客室の境界に挟まるように設置されているが、客室は一般車の一等室が定員12人、二等室が定員36人で両室共にロングシートを設置し、一等室は各座席に肘掛けを設置しているのに対し、供奉車の4両はロングシート車であることには変わりはないが、5350・5351が一等室定員24人、二等室定員20人、7436が一等室定員20人、二等室定員24人、そして7453が一等室定員18人、二等室定員30人と製造時期ごとに異なった構成となっている。 1920年に供奉車として運用されていた基本形客車各形式を車種ごとに単一の専用形式として取り扱うことになった際には5350・5351・7436・7453の4両以外に7439 - 7452・7454 - 7465の26両が抽出されて5150形ホイロ5150 - 5179に改形式・改番されている。 5150形となったグループは1924年の称号改正で称号がホイロからナイロに変更されたが、一般車編入グループについてそれに先立つ1922年から一般車への復帰が進められ、5153(旧7443)が関東大震災で被災廃車となった以外は、復帰時期の早かった5155 - 5159(旧7445 - 7447・7464・7465)が一等室を二等に格下げの上で原形式・原車番に復帰、5154・5160 - 5162・5172 - 5179(旧7444・7439 - 7441・7456 - 7463)は1928年の称号改正時に順に10500形ナイロ10500・10510 - 10520へ改形式・改番されて一般車に復帰、5163 - 5168・5170・5171(旧7442・7448 - 7452・7454・7455)は同じく1928年改正時に順に15900形ナロハ15904 - 15909・15911・15912へ改形式・改番され、更に車掌室追加でナロハフ15904 - 15911となった後、11700形ナロハフ11700・11701・11705 - 11707・11702 - 11704へ再度改形式・改番されている。また、5150 - 5152・5181については正式に供奉車となり、供奉車125・126・127・121号と改番されている。供奉車として正式に車番を与えられた各車については皇室用客車#供奉車を参照のこと。 これに対し、5335形のまま使用されていたグループは、1920年に一等室が格下げられて全室二等車となり、ホロ5335 - 5349・5352 - 5394・7400 - 7438と改称され、1924年の称号改正の時点で既に車種変更されたものおよび震災の被災廃車分などを除く全車がナロ5335 - 5349・5352 - 5392・7400 - 7407・7413 - 7436・7438へ改称されている。格下げによる車種変更は1924年以降順次実施されており、二三等合造車の11300・11500・11700形への改造後、15450形三等郵便荷物車へ改造されたものが大半を占めている。 5400形の形式図 5400形の一等室の内部 5400形ホイロフ5400 - 54031915年に新橋工場で2両、1917年に天野工場で2両が製造された一二等緩急車。二重屋根に明治45年式4輪ボギー台車を組み合わせた標準設計品であり、客室は一等が肘掛け付きのロングシートで定員18人、二等が肘掛け無しのロングシートで定員24人、便所と洗面所は一二等室の境界に置かれ、車掌室は二等室側車端部に設置されている。 1924年の重量区分見直しでは、関東大震災で被災廃車となった5402を除く3両がナイロフ5400・5401・5403と改称され、1928年の称号改正では5403・5401・5400の順で10560形ナイロフ10560 - 10562と改形式・改番されている。1931年に大宮・吹田・苗穂の各工場で二三等緩急車に格下げ改造されて11900形ナロハフ11909 - 11911となっている。 5410形ホイロフ5410・54111916年に鷹取工場で2両が製造された一二等緩急車。二重屋根に明治45年式4輪ボギー台車を組み合わせた標準設計品で5400形と同様の構成であるが、一等室の需要が少ない列車向けとして設計されたため、定員の比率が異なり、一等12人、二等30人となっている。 1924年の重量区分見直しではそのままナイロフ5410・5411とされ、1928年の称号改正では先行形式である5400形よりも若い番号を与えられて逆順で10550形ナイロフ10550・10551と改形式・改番されている。1932年には10551が15320形ナハユニ15321へ格下げ改造されている。
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