一二等車とは? わかりやすく解説

一二等車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 02:22 UTC 版)

鉄道院基本形客車」の記事における「一二等車」の解説

5335形ホイロ5335 - 5394・7400 - 74651910年から1917年にかけて、幹線系に残存する貫通構造箱形客車淘汰、およびそれらの改造のための予備確保目的として、川崎造船所兵庫工場日本車輛製造汽車製造東京支店新橋工場大井工場大宮工場神戸工場鷹取工場小倉工場札幌工場製造当時の有力車メーカー各社鉄道院直営工場総動員して製造された、17m級一二座席車同一形式内に一般向け量産車宮廷列車供奉車混在しており、5350・5351(1910年新橋工場製)、7436(1915年大井工場製)、それに7453(1916年大井工場製)の4両が宮廷列車用に該当する一般車二重屋根明治45年4輪ボギー台車組み合わせるのを基本とするが、宮廷列車専用供奉車として先行製造された5350・5351は台車異なっており、明治42年4輪ボギー台車装着している。また供奉車の4両は同じく供奉車である5100形と同様、側板腰板羽目板ではなく大形一枚板を用いて平滑仕上げてあるため、その外観印象一般向け量産車とは異なったものとなっている。 全車とも便所洗面所一二客室境界に挟まるように設置されているが、客室一般車一等室が定員12人、二等室が定員36人で両室共にロングシート設置し一等室は各座席肘掛け設置しているのに対し供奉車の4両はロングシート車であることには変わりはないが、5350・5351が一等定員24人、二等定員20人、7436が一等定員20人、二等定員24人、そして7453が一等定員18人、二等定員30人製造時期ごとに異なった構成となっている。 1920年供奉車として運用されていた基本形客車各形式車種ごとに単一専用形式として取り扱うことになった際には5350・5351・7436・7453の4両以外に7439 - 7452・7454 - 7465の26両が抽出され5150ホイロ5150 - 5179に改形式改番されている。 5150となったグループ1924年称号改正称号ホイロからナイロに変更されたが、一般車編入グループについてそれに先立つ1922年から一般車への復帰進められ5153(旧7443)が関東大震災被災廃車となった以外は、復帰時期早かった5155 - 5159(旧7445 - 7447・7464・7465)が一等室を二等格下げの上原形式・原車番復帰、5154・5160 - 5162・5172 - 5179(旧7444・7439 - 7441・7456 - 7463)は1928年称号改正時に順に10500形ナイロ10500・10510 - 10520へ改形式改番されて一般車復帰、5163 - 5168・5170・5171(旧7442・7448 - 7452・7454・7455)は同じく1928年改正時に順に15900形ナロハ15904 - 15909・15911・15912へ改形式改番され、更に車掌追加でナロハフ15904 - 15911となった後、11700形ナロハフ11700・11701・11705 - 11707・11702 - 11704へ再度形式改番されている。また、5150 - 5152・5181については正式に供奉車となり、供奉車125・126127121号と改番されている。供奉車として正式に車番与えられた各車について皇室用客車#供奉車参照のこと。 これに対し、5335形のまま使用されていたグループは、1920年一等室が格下げられて全室二等車となり、ホロ5335 - 5349・5352 - 5394・7400 - 7438と改称され1924年称号改正時点で既に車種変更されたものおよび震災被災廃車分などを除く全車ナロ5335 - 5349・5352 - 5392・7400 - 7407・7413 - 7436・7438へ改称されている。格下げによる車種変更1924年以降順次実施されており、二三等合造車の11300・11500・11700形への改造後、15450形三等郵便荷物車改造されたものが大半占めている。 5400形形式5400形一等室の内部 5400形ホイロフ5400 - 54031915年に新橋工場で2両、1917年天野工場で2両が製造され一二緩急車二重屋根明治45年4輪ボギー台車組み合わせた標準設計品であり、客室一等肘掛け付きロングシート定員18人、二等肘掛け無しロングシート定員24人、便所洗面所一二等室の境界置かれ車掌室は二等側車端部設置されている。 1924年重量区分見直しでは、関東大震災被災廃車となった5402を除く3両がナイロフ5400・5401・5403と改称され1928年称号改正では5403・5401・5400の順で10560形ナイロフ10560 - 10562と改形式改番されている。1931年大宮吹田苗穂の各工場二三緩急車格下げ改造されて11900形ナロハフ11909 - 11911となっている。 5410形ホイロフ5410・54111916年に鷹取工場で2両が製造され一二緩急車二重屋根明治45年4輪ボギー台車組み合わせた標準設計品で5400形同様の構成であるが、一等室の需要少ない列車向けとして設計されたため、定員比率異なり一等12人、二等30人となっている。 1924年重量区分見直しではそのままナイロフ5410・5411とされ、1928年称号改正では先行形式である5400形よりも若い番号与えられ逆順で10550形ナイロフ10550・10551と改形式改番されている。1932年には10551が15320形ナハユニ15321へ格下げ改造されている。

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